土曜日は天気予報通りよく晴れて、ぼくとちゃんはおチビちゃんを連れて、少し離れた公園まで足を運んだ。
 人間の、生まれてからたった4年しか立っていない小さな子どもに触るなんて、そう思えば今まであんまりしたことなかったなあ、とぷにぷにの頬に触れながらしみじみ考える。この小さないきものの全てが、ぼくにとっては新しくって面白い。ちゃんも小さくって可愛いけど、子どもと比べるとやっぱり違うし、おチビちゃんは綿でできたぬいぐるみみたいにフワフワで、太陽みたいな甘い匂いが身体じゅうからしている。おまけにぼくのことを「うたくん」と呼ぶつたない声があんまり可愛いから、ぼくはなんだか気が引けて仕方がなくなるのだ。だってこんなに透きとおったいきものに、頼りにされて、しっかりと手を掴まれたりなんかしていると、まるでぼくまできれいないきものになったような気分になって、勘違いしてしまいそうだから。


「だっこー」


 あと少しで公園に着くというときに、おチビちゃんはぼくの腕を引いて抱っこをねだった。ちっちゃな身体を片腕に抱きあげて、落ちそうになった白いキャップをちっちゃな頭に被せ直す。おチビちゃんはぼくのタトゥーをぺたぺたと触って「おえかきしたの?」と、悪気のない言葉でそう表現した。


「どうやってかいたの?」
「これはね、エンピツで描いたんだよ」


 からかって遊んでいると、嘘を教えないでよ、とちゃんからくぎを刺される。たしかにおチビちゃんはぼくが何を言っても、不思議そうな顔をしながら、ぜんぶを信じてくれるのだ。なんで、どうしてと真っ直ぐな瞳で見つめられたら、本当のことを言っても嘘をついても、どっちも正解じゃないみたいに感じてしまうのはどうしてだろう。
 まぶしいくらいの視線を間近に感じて歩きながらも、公園が見えてくると、おチビちゃんの興味はすぐにそっちへ向いた。公園にはたくさんの人がいる。遊具で遊んでいる子どもたち、傍に付き添っているその親だろうか、色んなひとがいて、昼間の公園なんていう健やか場所にいる自分自身が、不似合いすぎて我ながら笑いがこぼれてしまった。


「ぼく浮いてるね」
「そんなことないよー。爽やかだよ!」


 ……ニヤニヤしながら言われたって、これっぽっちも信じられないんだけど、まあいっか。
 地面に降ろすなりパタパタと駆け出したおチビちゃんを追いかけて、ちゃんまで一緒になってパタパタと走り回っていた。ふたりとも転びそうだなあ。おチビちゃんは歩くのだって見てられないくらいおぼつかないのに、あんな風にはしゃいで走っていたら、短い足がもつれるに決まってる。
 なんとかおチビちゃんを捕えたちゃんは、息を荒げながらぼくに振り返る。どうやらおチビちゃんは滑り台に乗りたいらしい。アスレチックの階段を上ったところから、滑り台の降り口までは大人の肩くらいの高さだけれど、なるほど、見守るにはちゃんの背丈だと少し心もとない。


「滑り台、行く?」
「いくー!」
「いいよ。落っこちないでね」


 ちゃんはその間に冷たい飲み物を買ってくると言って、少し離れた自販機に向かった。



***



 何度かおチビちゃんを滑らせているうちにちゃんが戻ってきた。ウーロン茶を子ども用マグに移し替えて、お茶だよ、とちゃんが差し出してあげたのに、おチビちゃんはぼくの方へ駆け寄ってきて、「もっかい」と滑り台の方を指さしてねだってみせる。お茶はまだいらないらしい。足にしがみついて上目遣いに甘えるその仕草は、大人にそれなりの効果があることを、子どもながらにきっと学んでいるのだろう。きらきらした瞳はやっぱり少しまぶしくって、サングラス越しでさえ目が眩みそうになった。しょうがないなあ、ってぼくの口からは自然とそんな言葉がこぼれて、おチビちゃんの身体を抱きあげて階段の方へ連れて行ってあげた。


「そうちゃん、ウタくんに遊んでもらって良かったねえ」


 おチビちゃんは滑り台からするすると降りるなり、弾けるような笑い声をあげて、しゃがんで待っていたちゃんの首元に飛びついた。小さな子どもの笑う声は、他の誰のものより特別に可愛いのだと、聞けば愛おしくてたまらなくなるのだと、昨夜眠る前にちゃんが呟いていたのを思い出す。たしかに喩えられないほどには可愛くって、胸の奥のほうがじわり、あったかくなるような。つられて楽しそうにはしゃいでいるちゃんの笑い声もまた、可愛くて、愛おしくてたまらなくなるような。そんな気が、する。


「そうちゃん、待っ――」
「あら」


 ちゃんからぱっと離れたおチビちゃんが、近くを通りかかったおばあさんに軽くぶつかって、コテンと尻もちをついてしまった。大人しくしていたと思ったのに、一秒も目が離せないってこういうことか、と子どもの自由奔放さにしみじみ感心しながらも、地面に座ったままのおチビちゃんの傍にふたりで近寄った。


「ごめんなさい! 大丈夫ですか?」
「ええ、私は大丈夫よ。ごめんねえ、ボク」


 知らないひとに人見知りをしているのか、おチビちゃんは黙っている。そんな彼を後ろから抱えて立ち上がらせてやると、そのまま顔を隠すようにぼくの胸元にぴったりとくっついた。あらあら、とおばあさんは穏やかに笑って、ぼくとおチビちゃんと、そしてちゃんとをそっと見比べた。


「かっこいいパパに、かわいいママねえ」


 ――にこにこと手を振って去ってゆくおばあさんの、その言葉をなんとなく否定しそびれて、残されたぼくらはなんだか気恥ずかしくなりながら、手を振り返した。


「かわいいママだって」
「かっこいいパパ!」


 顔を見合わせてぼくらは笑いあった。訳もなくくすぐったくって、落ち着かない感じ。だけどこれっぽっちも嫌じゃない、どころか、嬉しいくらいだ。健やかな昼間の公園で、ちゃんと、おチビちゃんと3人で過ごす自分が、誰ともつかない誰かに受け入れられているみたいで、勘違いしそうになる。
 ちゃんはきっと本当にかわいいママになるんだろうなあ。頼りなく見えるのに実はしっかり者で、変な度胸があったりして、かわいいだけじゃなくかっこいいママになるんだろう。その未来を、ぼくは早く見たいと思う。


「……あれ、そうちゃん。もう眠くなっちゃった?」
「んー……」
「じゃあおうちに帰ろっか。ぼくの抱っこでいい?」


 広げたぼくの腕の中に、おチビちゃんはヨチヨチ歩きで入ってくる。かわいいなあ、やっぱりこんなに透きとおったいきものがそばにいると、まるでぼくまできれいないきものになったような気分がしてしまう。それはこんなにも幸せで、心地よくて、泣きたくなるほど嬉しいのだと、ぼくは改めて考える。
 家までの、そう遠くはない道のりを、おチビちゃんを抱っこしながらちゃんと手を繋いで帰る。日が落ちるにはまだ早い。このあとはどうしようか、何をしようかと話しながら歩けばあっという間で、家についてすぐにおチビちゃんをソファに寝かせてあげた。……おチビちゃんのヨダレで肩の辺りがビショビショだ。ちゃんはぼくの後ろ姿を見て、声を抑えて笑っていた。


「なぜかウタくんまで泥ついてるし、ヨダレですごいことになってる」 
「泥だらけの手で掴まれてたからね」
「ふふ。でもそうちゃん、すっかりウタくんに懐いたね」
「ね。ちびっこの方が怖い物知らずだからかな」
 

 まあ、たまにちゃんみたいな物好きもいるけど。出会った頃のことをそれとなくからかってみれば、ちゃんは恥ずかしそうに唇を尖らせる。だけどそのおかげでぼくらはこうして出会えたんだから、きみの度胸は素晴らしい美徳だと思うよ。ねえ、ちゃん?




(1710047) 君に降るべき幸福のために

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