仕事帰りにデートする、なんていうのは久しぶりかもしれない。
 いっしょに住むようになってから、なんだかんだわたしの仕事が忙しくなってきたりして、家でゴロゴロするかいっしょに出発するかのどちらかで、こうやって待ち合わせしてデートをすることは少なくなっていた。そうは言っても、まだ同棲して半年も経っていないのに、なんだかずいぶん長い間こうしているような気がするのはどうしてだろう。それくらいわたしの生活にウタくんの存在が不可欠になっているから、だろうか。……なんて考えて、一人で照れたり嬉しくなったりする、わたしもたいがい幸せなヤツだなあと恥ずかしくなったりする。

 仕事が終わって約束のお店に着いたのは19時を少し過ぎた頃だった。待ち合わせの時間は19時半だから、ウタくんが来るのにはまだ少し早いだろう。わたしはとりあえず喉を潤すために一杯だけカクテルを注文して、ヨレヨレの化粧を直したり、携帯をぼーっと眺めたりして、ウタくんが来るまで時間を潰すことにした。
 このバーは喰種がほとんど使わないから、という理由でウタくんが選んでくれたのだ。街中にあるから人はたくさん来るけれど、駅やオフィス街が近いこともあって明るく賑やかで、こういうオープンなイメージの場所には喰種はあまり集まらないらしい。わたしに飲み屋街ごとの雰囲気とか、喰種のテリトリーとかそういうのはよく分からないけれど、たしかにバーといっても入りやすいライトな雰囲気で、わたしのような普通のOLがひとりで来ても特に違和感のないお店だった。
 カウンターに座りながら、バーテンダーのお兄さんがカクテルを作ってくれる様子をぼんやりと眺める。こういうところでバイトするのも夢だったなあ、かっこいい制服を着てシェイカーを振ったり、おしゃれなカクテルを運んだり……ウタくんには似合わないって笑われちゃいそうだけど。
 わたしはサクランボの乗った可愛いカクテルを手に取ってたっぷり見つめたあとに、それを一口ぐいっと喉へと流し込む。予想通りの甘さと、ベリーの酸っぱさが喉を潤していく。うん――美味しい。わたしが思わず口角を持ち上げたそのときに、ふと隣に誰かが並んだのが分かった。
 ウタくんが来たかと思って顔を上げた、けれど――隣に座っているのは、知らないスーツ姿の男の人だった。……誰?


「いきなりすいません。隣いいですか?」
「……えっと、ごめんなさい。いま人を待っているので……」
「あ、なるほど……もしかして彼氏ですか?」


 その男の人は、爽やかな茶髪にすっきりした顔立ちで、おそらく20代前半、わたしと同年代のサラリーマンのようだ。彼氏が来るからとハッキリ言って断っても、彼はなかなか席を退いてはくれない。強い。なんやかんやと攻防している間にも、彼があんまりにもじーっと見つめてくるから、わたしはなんだか気まずくてついうつむいてしまった。
 どうしよう、これ、もしかしてナンパ? わたしに? なんで? じわじわと距離を詰めてくる彼に、あからさまに困った顔をしてみても、彼は折れるどころか意気揚々とこちらを覗きこんでくる。強い。


「名前、聞いてもいいですか」
「えっ……」
「すみません、ほんと怪しい者じゃないんで。俺、あなたに一目惚れしたんです」


 ――ひ、一目惚れ!?
 驚きのあまりうっかり顔を上げて彼を見てしまった。しかし、あながち冗談、というわけではないのかもしれない。熱のこもった瞳でじっとこちらを見下ろして、ぱちりと視線が重なれば彼はたちまち気恥ずかしそうに口元を覆ってカウンターに肘をつく。その仕草や声色は、とても嘘をついているようには思えなかった。


「……遠くから見て、めっちゃ可愛いなと思って。行かなきゃ後悔するって思って、声かけました」
「え、あ、あの……ありがとうございます……」
「彼氏いてもいいんで、友だちから始めてくれませんか」


 彼は顔の前で手の平を合わせて、お願いします、と必死な形相で頭を下げる。
 こういうときは全力で警戒しろってウタくんなら間違いなく言うだろう。だから連絡先はもちろん、名前も素性も教えるつもりはこれっぽっちもない。だけど、しょうもないナンパだって分かってはいるけれど、そんな一生懸命な顔を見せられるとなんとなく無碍に断りにくくなってしまうというものだ。
 どうしよう、どうしたら穏便に断れるだろう。彼の見た目は本当に普通で、大学や会社の同期と言っても誰も不思議には思わないような男の子だ。清潔感もあってそれなりにモテそうな容姿をしてるし、わざわざわたしなんかに声をかけなくたって相手はいそうなものだけど……。第一わたしに一目惚れだなんて、全然意味が分からないし信用できない。彼には申し訳ないけれど、連絡先の交換は無理ですと丁重にお断りして、それっきり話を切り上げようとした。
 のに、彼はまだ食い下がってくる。強い、強すぎる!


「あのさ! 違ってたら申し訳ないんだけど……」
「はい?」
「君の彼氏ってもしかして喰種……ですか?」


 突然、ボディーブローをされたような衝撃を受けた。
 いやボディーブローをされたことはないから正確には分からないけれど、とにかくものすごくびっくりしたのである。我ながら分かりやすい反応をしてしまったとは思う、わたしは素っ頓狂な声を上げて「喰種!?」と大きな声で聞き返してしまった。彼は辺りをきょろきょろしてから、こっそりと耳打ちをする。何を言いだすのかと思ったら、


「俺も喰種なんだ」


 ……ますますびっくりしてしまうことを告げられてわたしは変な汗が止まらなくなった。え、え、なにこの状況。彼が言うには、匂いがするらしい。このお店は普段喰種が来ないのに、男の喰種の匂いがするから、辺りを探してみたけれどそれらしい人はいなくって、よくよく辿ってみればわたしに行きついたと。そしてくだんの一目惚れをしてしまったと、そういう経緯に行きついたところまで詳細に教えてくれて、わたしは黙って聞きながらただ頷くことしかできなかった。
 喰種は個人差はあるけれど五感が敏感で、匂いや音から色々な情報を察知できるのだと前にウタくんが言っていた。彼は鼻が良いようだ。だからこそ、喰種に理解のある人は少ないから、わたしのような人と出会えたのが嬉しいのだと語って、彼はなおもしつこくわたしに詰め寄ってくる。


「相手が喰種だと、色々大変なこともあるでしょ。俺、相談乗るよ!」
「は、はあ……!?」
「俺、ユウマ。名刺に携帯の電話番号書いとくんで、まじでいつでも電話ください」


 じゃあ、と名刺を残して彼は、身を隠すように店を出て行った。
 わたしはあっという間に遠ざかって行った彼の後ろ姿を目で追いながら、嵐が去ったあとのようにただただ呆然と固まっていた。彼がくれた名刺はどこか知らない企業のもので、だけどきっとごく普通の会社なのだろう、裏面に殴り書きして行った彼の電話番号だけが、どこか非日常的にインクをにじませている。
 世の中、色んな人がいるなあ。だけど、わたしだって傍から見れば、びっくりされる立場なのかもしれない。分かっていたつもりだけど、いざ面と向かって直面すると、さすがに困惑してしまうものだ。名刺をぼんやり眺めながらしみじみそんなことを思っていると、お店のドアが開いて見知った姿がこちらへ近づいてくるのが見えた。わたしはとっさにその名刺をバッグにしまい込んで、そのひとに手を振る。ウタくんだ、今度こそ本当に。


「お待たせ。ごめんね、遅くなっちゃった」
「ううん! わたしが早く来ちゃっただけ。今日、仕事早く終わったんだよね」
「そうなんだ? 良かったね」


 何気ない会話をしながら、ウタくんがわたしの隣に腰かけるのを見てなんだか無性にホッとした。サングラスのせいでよく見えないけど、ウタくんはきっとわたしを見て、柔らかく目じりを下げて笑っているのだろう。ただ傍にいるだけで安心する。毎日一緒にいるはずなのに、それでもこうやって実感できるんだからすごいと思う。
 わたしが隣にいたいのはウタくんだけ。隣にいてほしいのも、やっぱりウタくんただ一人だけなのだ。




(170118) 強情な運命を説き伏せて

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