今は僕のことだけ考えて――――なんて、そんな大胆なことを思っていたわけじゃない。
 単純に宜野座さんの話ばっかりするから嫉妬して、もうそれ以上なにも言わないで欲しかっただけだ。ただでさえいつも仲良しのふたりに僕は、焦りを感じているのに……ちゃんには自覚がないのかもしれないけれど、宜野座さんだけに見せる表情があることを、僕は知っているのだ。ちゃんは宜野座さんに懐いていて、心を許しているっていうのがはたから見ても伝わってくる。それがたまに、ちょっとだけ辛いから……せめてふたりでいるときくらい、そのことを忘れさせてほしかったのだ。

 ちゃんの身体は肩を軽く押しただけで、簡単にソファに押し倒されてくれた。相当ビックリした顔をしていたけれど、僕の顔を見上げて耳まで真っ赤にしているのを見て、密かにほくそ笑んでしまったのは内緒だ。ちゃんは気が強くって積極的なのに、強引に迫ればこうやって純な反応をするのが、少し意外で、僕はとても可愛いと思う。
 こうしていると、いつもと形勢逆転だなあと感じる。背筋をぴんと伸ばして、自信たっぷりに歩いているちゃんの背中を、ぼくはいつも見ているばかりだけど――――こうやって泣きそうな顔をして、恥ずかしいって分かりやすくうろたえて、頬を染めてくれる。そういう顔を僕に見せてくれることが、たまらなく嬉しいのだ。
 付き合ってもうすぐ2か月が経つ。今まで何度かキスをしてきたけれど、それ以上のことは、していない。尻込みしているのは……僕じゃなくって。



ちゃん」

 薄っすらと涙をにじませて、ちゃんは訝しむような視線をよこした。
 赤くなった頬が新鮮で、じいと見つめていれば「なに」と恥ずかしそうな声色でどやされてしまう。平気なフリしてるけれど、ちゃんがどきどきしているのが手に取るように分かって、なんだか僕まで緊張してしまう。……それでもこんなに落ち着いているなんて、自分でも、不思議なくらいだ。
 僕が思わず口角を持ち上げたのを、ちゃんは不機嫌そうにジロリと睨みつける。恥ずかしいとき、ちゃんはいつもこうやって怒るのだ。

「……雛河くん怒ってる?」
「お、怒ってない……、よ」
「わ、わたしまた、無神経だったから……」

 ごめんね、と。いつになく弱気な声を震わせてちゃんは瞬きをする。
 そういう顔されると、僕のほうがかえって、申し訳なくなってしまう。僕に許しを請うみたいに、唇をへの字に曲げて……ちゃんは自分や僕のことを本当によく分かっていて、どういう風にすれば、どういう顔をすれば効果的なのかを、無意識のうちにうまく使い分けていると思う。単純な僕は心臓をドキドキさせて、簡単に理性を手放してしまいそうになるから。
 もう一度顔を近づけて、漫ろな返事をしながら上唇を軽く食む。ちゃんの声を聞いていると、こうやって触れていると、僕は我慢が利かなくなる。もっと我がままを言えって、ちゃんはいつも言ってくれるけれど――――、僕が本当に我がままを言ってしまえば、ちゃんはすごく困るんだろうなあ、って……いつも考える。

「……う、」

 ああ――――ほら、拒む声。僕がほんの少し、おなかのところを撫ぜただけで、ちゃんはくぐもった声を上げる。胸の奥をちりと焦がしていく焦燥感。やっぱりこれ以上はダメ……なのかな。

「……いや、だった?」
「そ、そうじゃなくって」

 ちゃんの目を見れば、本当に泣きだしてしまいそうだった。ごめん、と咄嗟に謝った僕の頬を、ちゃんはむにっと抓る。照れてる……? こういう風にちゃんに迫ったのは初めて、だし、よく分からない……けど。そういう目をするのは、嫌がってない証拠だと、思う。違うかな……。
 目が合えばすぐに逸らされる。頬も赤くて熱い。いつも強気なちゃんが、怯えた小動物みたいになっているのが、可愛くって、胸が苦しくなる。

「ちょっとびっくりしただけ」
「うん……」
「ど……どうしてそんなに慣れてるの」

 言ってから、「やっぱり言わなくていい!」と僕を突っぱねた。
 ちゃんは両手で僕の両頬を包んで、まっすぐに視線を合わせる。困ったような表情も可愛いし、やっぱりもっと、触れたいなあ、と思ってヤキモキする。
 慣れてる、なんてつもりはない。僕はただ、ちゃんに喜んでほしいだけなのだ。女の子は、こうしたら嬉しいんだって……前に教えてもらったことがある。女の子の言葉には裏の意味があって、本当の気持ちはそこに隠しているから――――察してあげなきゃいけないんだって。

「ごめん、わたしこういうの、初めてで」
「え……そう、なの?」
「だから……どうしたらいいのか、分かんないの」

 ちゃんの言葉は素直で、いつだってウソがない。だから本当なんだと思うけれど、必死な顔をして訴えるのを見ていれば、ますます愛おしくなって、僕はたまらず笑ってしまった。また怒られてしまうかと思ったけれど――――意外にもちゃんはしおらしく瞬きをするだけで、僕の顔を不安そうな顔して見つめているだけだった。
 そんなに怖がらないで……。焦って、ごめんね。ちゃんは期待してるのかなって思ってた……けど、違うみたいだ。積極的だし、君のほうがよっぽど、慣れてるみたいな感じがして……今までこういう雰囲気にならなかったことのほうが、不思議だと思ってたのに。
 だけど、ちゃんの本当の気持ちは、僕が思っていたのよりずっと――――。

「……可愛い、ね」
「っ、」
「僕は、大丈夫だから……」

 君を怖がらせて、不安にさせるくらいなら、我がままなんか言えない……って思う。だから、そうやって、いつもみたいに笑ってくれたら、嬉しい。僕なら大丈夫、もっと、待てる……はず。たぶん。
 ちゃんの頬はかあと赤くなって、それきり口をつぐんでしまった。うるうるした瞳で僕を見上げて、いや睨んで――――、ごまかすように僕の首に腕をまわしてぎゅうと抱き寄せる。重くないかな、苦しくないかな……。そっと頭を撫でると、小さな声で「ばか」と呟かれた。

「雛河くんずるい」
「え……そう、かな」
「ずるいよ。なんか格好良いもん」

 はっきりそんなことを言われると、さすがに照れてしまう。この距離で……耳元に吐息がかかるような体勢で。大丈夫とは、言ったけど、さすがに長くは持ちそうにないんだけど、なあ。ふと頬に手が触れて、ちゃんは僕の両頬を固定しながらじいっと見上げた。

「……ずっとわたしのこと好きでいてね」

 約束だから、と。いつも僕にお仕事を頼むときとはまた違う、可愛らしい命令。恥ずかしそうな顔してる、けど、いつもの強気な瞳。真ん中に僕を映して、嬉しそうな色をして揺れている。いつも通りのちゃん。うん、僕はやっぱり、こういう君が好き、だよ。
 胸がぎゅうと締めつけられる気がして、たまらず息を吐きだした。もう一回、キスしていいかな。余裕のあるフリをしている僕を笑ってもいいから――――どうか今だけは、僕のことだけを考えていてほしいって、思うんだ。




思惑のパラダイム (150630)

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