今日くらいは残業なんかしないで帰りなさいと、おねえちゃん――――常守監視官にたしなめられて、すごすごと自室まで戻ることにした。こんな日だから、かえって仕事をしていたほうが気がまぎれると思ったのに。世の中のクリスマスムードも公安局内の執行官宿舎にはまったく関係のない話で、昨日とおとといと生活空間はなんにも変わっていない。ただイベント好きな女の子がドアにクリスマスリースを飾ったり、女子会をして楽しんでいるといったくらいだ。 生まれてこのかた一度だってクリスマスを誰かとふたりきりで過ごしたことはない。ましてや執行官になった今、それは叶わぬ夢となってしまった。別にそれを悲しいと思ったことはなかったけれど、今日も明日も――――自分の誕生日も、これからずっとひとりきりで過ごすのかと思うと切ない気分になるものだ。 僕は明日で、21歳になる。 「ちょっと、退けてくれない?」 刑事課フロアでエレベーターを待っていると、扉が開いたそこに現れたのは大荷物だった。 ふたつ積み重なった段ボールの向こう側にちょっとだけ頭が見えている。聞きおぼえのある声に、まさかと慌てて覗きこむと、必死な形相の分析官が僕を睨みつけていた。 「あ、」 驚きのあまりとっさに何にも言えずに固まる。僕をすり抜けて行ってた彼女は、身体より大きそうな荷物をいっしょうけんめい抱きかかえて倉庫のほうへ向かっている。もうほとんど誰もいないのに。倉庫って、刑事課フロアの一番奥だし……。時々つまづいている小さな背中を見て、手伝わなくちゃ、と無性に駆り立てられた。余計なことするなって怒られそうだけど、黙って帰るなんて出来るはずもない。 「あ、あの、僕、持つ……」 「え? いいよ。帰りなよ」 「い、いや……重そうだから……」 これでも自分にとっては大きな進歩だ。少し強引に段ボールを奪い取ると、大きいわりにそこまで重いというわけではなかった。うん、これなら持てそうだ。分析官は、僕が簡単に持ち上げたことに少し驚いているみたいだった。まあ、無理もない……かな。情けないけど。 「あ、ありがとう」 うん、とうなづいて彼女のうしろをついて行く。そういえば、出会いがしらに持ってと命令されなかったことが、少し不思議だった。いつもの彼女ならここぞとばかりに僕を呼びつけて、移動を手伝えと言いだしても何にもおかしくないのに。なぜだろう。やっぱり僕は、このくらいの荷物も運べなさそうだと思われていたんだろうか……。だとしたら、ショックだ。 ちらりと僕を振り返った分析官は、目が合うとすぐに前に向き直る。なんだか不自然な感じがする。やっぱり心配されているんだろうかと不安に思っていると、「ねえ」といつもの声に呼びつけられ、慌てて顔を上げた。 「今日、なんの予定もないの? クリスマスなのに」 「う、うん……まあ……」 分析官は、と何気なく聞こうとして、はたと立ち止まる。もしもこのあと予定がある、なんて言われたら、しばらく立ち直れなくなりそう……だ。そもそも今日、会えるなんて思ってなかったから、実はこうして出会えたのが少し嬉しかったりするのだ。考えないようにしてた、から……。もしかしたら分析官は、好きな人、とかと、いっしょに出かけてるんじゃないかって思ったら、なんだかすごく悲しい気持ちになったから。 僕が考えあぐねていると、不機嫌そうな顔した分析官がくるりと振り返って、僕を睨みつける。 「なによ。どうせわたしは彼氏もいないし、予定もないから残業してるし、雛河くんのこと馬鹿にできないわよ。クリスマスだからって仕事は待ってくれないの。これもあんたたち刑事課のせいなんだからね」 ふん、と鼻をならしてすたすた歩いて行ってしまう、その背中を見て、無性にほっとしている自分がいた。 倉庫に段ボールを詰めて、データの書き換えをしておわり。たったこれだけか、と少し物寂しく思う。分析官は残業してるから、こんな風に思ってると怒られるかもしれないけど……。最後に倉庫のドアをロックした彼女は振り返って、僕を見上げて「ありがと」とつぶやいた。 「助かったわ。雛河くん、力仕事はだめだと思ってたから」 「こ、これくらい……なら。大丈夫」 うん、と言ったきりふたりでうつむいてしまったから、妙な空気が流れてしまう。分析官はこのあと、どうする……んだろう。帰るのかな。まだ仕事、残ってるのかな。まさかいっしょに過ごせたら、なんて思っていないけど、もう少しだけいっしょにいられたらいいのに……なんて、寂しいことを考えてまう。 「お礼と言ったらなんだけど」 「は、はい?」 「クリスマスケーキをもらったの。でも、わたしひとりじゃ食べきれないから、よかったらいっしょに食べない?」 え。え? 「ええ、えっと、あ、」 「甘いもの嫌いだった? チョコレートケーキなんだけど」 「す、好き! 好き、です!」 「よかった。仕事終わったら持っていくね」 え、え、僕の部屋に? え? 「じゃあまたあとで。コーヒー淹れといてね!」 ……そう手を振って、分析官は颯爽とエレベーターに乗り込んでしまった。 今この一瞬で、僕の身になにが起こったのか、よく理解できていない。分析官が僕の部屋に……遊びに来る。って、こと? そんな、そんなことって、ありえる……の。頭パンクしそう。 「……掃除、しなきゃ……」 ふらふらと部屋に戻って、急いで片づけをした。なんのもてなしも出来そうにないんだけど、本当にいいんだろうか……。よくわからない。 「おじゃまします」 両手に荷物をぶらさげて分析官が僕の部屋に来た。 どぎまぎしながら迎え入れると、「ん」とワインのボトルを突きだされる。これ、本物のお酒? ひやりと冷たいそれを机に置いて、次にケーキホルダーを受け取る。サンタクロースと雪だるまが乗っかった、美味しそうなブッシュ・ド・ノエルだ。ただの偶然だと思うけど、僕はチョコレートのロールケーキが大好きだから、すごく嬉しい。 「ナイフ借りていい? ケーキ切るね」 普段あまり使わないキッチンに、分析官が立ってるっていうのが、不思議だけどなんかすごくいいなあと思った。うん……なんか、ドキドキする。 「お酒、飲めるっけ?」 「ぼ、僕……は、弱いけど……」 「やっぱり。それ、本物のお酒なんだって。宜野座さんからもらったの」 宜野座さん、と聞いてなんだか胸の中がモヤッとした。へえ……とつぶやいた返事は思ったより暗くなってしまった。分析官は気づいてない、みたいだけど。 ワイングラスなんか持ってないから、適当なカクテルグラスを用意して、コルクを開ける。白ワインの匂い……かいでるだけで酔っぱらいそうだ。実は本物のお酒なんてあんまり飲んだことがない。分析官は、よく飲んだりするのかな。宜野座さんと……? ぼんやり考えているうちに、小皿にケーキを取り分けて持ってきてくれた。ワインを注いで、向かいあって。なんかよく分からない、けど。はっと目が合って動揺する。クリスマスに、分析官と部屋でふたりきり……。つくづく訳がわからない……。 「じゃあ乾杯」 メリークリスマス、と笑ってグラスを傾ける彼女を見ていると、なんかそんなのもどうでもいいや、という気がしてくる。せっかく飛び込んできた幸運なんだから、楽しんだっていい……よね? たぶん。だって明日は、誕生日……だし。別に思い入れがあるわけでもないけど、さ。 「にがい」 ワインを一口飲んだふたりの感想がおんなじで、顔を見合わせて笑った。 分析官はチェスゲームがお気に入りみたいだ。 頭を使うゲームが好きなのは彼女らしいなと思う。酔った分析官は上機嫌で、すごく楽しそうに笑っている。いつも以上によくしゃべるし、よく笑う。こういう表情を見るのも初めてで、見せてくれるのがなんだか嬉しい。新作のバトルゲームで対戦したときは、負けるたびにコントローラーを投げて「酔っぱらってるからできない」とだだをこねて、そういう負けず嫌いなのも分析官らしくて何度も笑った。一口目に眉をしかめていたワインも、今はすっかり空っぽになってしまっている。 気づけばもうすぐ日付が変わる時間だ。まだ電車がある時間に、帰らなくて平気かと聞いたときには、「明日はオフだから大丈夫」の一言で片づけられてしまったけれど。もしかして泊まるつもり、なのかな? ふと気がついて、思いだしたように恥ずかしくなる。あれ……これって、い、いいの……かな。 「もう、疲れた、休憩」 「う、うん。休む……」 ベッドを背もたれにして座っていた僕のとなりに、分析官がぺたりと座る。まだ酔いが回っているみたいで、頭がぐらぐらしてる。眠いのかな。水を飲むかと聞けばゆっくりと首を振って、天井を仰いだ。うん、けっこう酔っぱらってる……みたいだ。 「分析官……星、好き?」 「星? って、夜の空にある星? うん、好きだよ」 そういえば、ちょうど忘年会でもらった景品なんだけど、うまく使えないでいたものがあったんだ。アバターを呼びだして、ホロのスイッチを入れるように伝えると、部屋の照明が消えて、天井に満天の星空が浮かび上がってきた。分析官はぱあっと目を輝かせて、興奮した様子で天井を見上げている。 「すごい……なにこれ! プラネタリウムみたい」 「う、うん。もらったんだ」 「素敵。こんなにきれいなの、初めて見たわ」 よかった。気に入ってくれたみたいだ。前にひとりで見たときよりも、心なしか星空が美しい感じがする。こんなにきれいで、胸が詰まりそうなくらい、ドキドキするものだったっけ……。となりに分析官がいるから、かなあ。 部屋が暗いから今は、じっと見つめていても、頬が赤くなっても、バレなさそうだ。僕は今日の幸運に感謝しなくちゃいけない。こんな風に近くで、分析官の笑顔が見られたんだから……。 「よ……よろこんでくれたなら……嬉しい……」 しばらく黙って、ふたりで星空を見上げていた。なんかすごくロマンチック、だなあ……もしかしてこれって良い雰囲気なのかな。そういうムードを作ってしまった、と思うと、なんだか落ち着かない。わざとらしいと思われてたらどうしよう。その気になってると思われて、避けられたら! ああ、そんなの、やだな……。 僕がすっと離れて、距離を置こうとしたとき、なにかがこつんと肩に触れた。 あ、あれ……? 「……ね、寝ちゃった、の……?」 よくよく見れば、分析官が僕の肩に頬をあずけて、すやすや眠っている。何度か名前を呼んでも、まったく起きる気配がなかった。こんなところで寝たら、からだ痛くなっちゃう……のに。起こす……どうやって? 揺らして? どこに触れて!? 「困った…………」 動けなくなってしまった。ああ……どうしよう。でも気持ちよさそうに眠ってるし、無理に起こしたくない……かも。 お酒を飲んで酔っぱらって寝ちゃうなんて、分析官も隙だらけ、だなあ。他のひとと飲むときもこんな風になったりするのかな? たとえば宜野座さん……とか。分析官の仲間とか……。こんな風に、誰かの肩に寄りかかって寝たり、するのかな。 「それは……嫌……、かも」 無防備な寝顔、誰にも見てほしくない。僕だけになんて、言わないから……せめて、誰にも見せないで、と思う。ドキドキしすぎて、心臓が止まりそうだ。朝までこのままだったら、どうしよう……。僕より、目覚めた分析官のほうがびっくりしそう、だなあ。 ふと時計を見れば、ちょうど日付が変わる瞬間。12月26日、になった。僕の誕生日。分析官はなんにも知らないのかもしれない、けど……こうしていっしょにいられるなんて、全然思ってなかった……な。こんなにドキドキしてるクリスマスも、誕生日も、はじめてだ。嬉しい。僕ばっかりが勝手に、よろこんでるだけだけど、それでも。 「おやすみ、なさい。…………分析官」 今日、僕といっしょにいてくれてありがとう。僕はあなたが、とっても、好き、です。 「みんなおはよう。……って、どうしたの?」 「常守、おはよう。実は雛河が」 「!! あ、えっと、あの、」 「雛河が女性を連れ込んでいたんですよ。今朝、ちょうど我々と鉢合わせましてね」 「えっ……? 雛河くんが!?」 「昨日はクリスマスですからね。恋人と過ごすのは悪くないと思います」 「お前も隅に置けないな。付き合っていたのなら、教えてくれてもいいじゃないか」 「そ……そうだよ。クリスマスだったし、私は別に、いいと思うよ。うん」 「だ、だから……!! 僕……! あの、ご、誤解……!!」 |