あれ、と思ったときには隣にのすがたはなく、振り向けばディスプレイされていた最新のホロコスに見とれて立ち止まっていた。
 さっきは新商品のコスデバイスに気を取られていたし、その前はアクセサリーショップで指輪やピアスを眺めていた。買い物を楽しむのは結構だけれど、もうすこし落ち着いて歩けないのかな。あんまりちょこまかと動き回られてしまったら、僕はそのうち君のすがたを見失ってしまうかもしれない。ぼんやりと立っているその背中に近づいて、お店の入り口をふさいでいるの腕を自分のほうへ引き寄せる。

「危ないよ」

 ほら、あんまりせわしなく目移りしていると、他の買い物客にぶつかってしまうよ。はっとして顔を上げたは申し訳なさそうに苦笑いをして、小さくなって僕の隣に並んだ。すいません、という反省の色のない台詞、それを聞くのはもう何度目か分からない。それでも僕の腕や袖に指先をひっかけて、くっついて歩いているのは可愛らしくって、僕は何度もそれを確かめて見ていたくなるのだ。
 今日はのたっての希望で、駅前の複合デパートに新設オープンしたジェラートのお店に行くことにした。今日のデートは、数えると何度目になるのだろう。片手分の回数を超えたあたりで僕はもう数えるのを止めてしまった。こうしてデートをすることは僕たちにとって普遍になりつつあって、僕の自惚れでなければ、きっともう数えることはしなくて良いと思ったのだ。

「君はすぐ僕の視界から消えてしまうから」
「……槙島さんの視線が高すぎるんですよ?」
「君の視線が低すぎる、の間違いじゃないかな」

 こんな風に隣り合って立てば、は一生懸命に首を上向けて僕を見る。からかうように頭のてっぺんをぽん、と撫でてやると、は素直に頬を赤くして恥じ入った。
 人がたくさんいるのに、こんな風にするのはなんだか恥ずかしいって。家の中でそうしたって恥ずかしがるくせに、は変わらずに意地っ張りだ。率直で裏表のない、そういう気の強いところを美徳にしているけれど、一歩家の外に出ればはとたんに小さく見える。人混みなんかではぐれないように僕の手を取ったり、慌ててを呼んだり。僕のことをいつも世間知らずだって叱るくせに、急にが頼りなくなってしまう感じがして、側にいてやらなきゃと――そういう思いを駆り立てられるのだ。
 道なりに歩いてゆくと人だかりがあって、どうやら新しいジェラート店の前に長い行列ができているようだった。どうする、と見やればは困ったように笑って、どうしましょう、と首を傾げる。

「ここのジェラートが食べたかったの?」
「うーん……でもこんなに混んでるなら、ちょっと考えます」
「オーガニックのアイスクリームを出してくれるカフェなら、僕はいくつか知ってるけど」

 君さえよければ案内するよ。尤も君の執着がこの店にあったのなら、この提案は無かったことになるけれど。僕がゆるく選択を迫ればはあまり考え渋ることなくうなづいて、行列を前にきびすを返すほうを選んだ。ずいぶんと決断が早い。

「いいのかい?」
「はい。……また今度、付き合ってもらうことにします」

 ああ――なにその可愛い誘い方。まったく君は、僕のことを上手く扱う方法をすっかり心得ているようだ。
 最初の頃は、会うたびにいつも身構えていたくせに、のほうからそう言ってくれるなんて。些細な変化のことを思えばくすくす笑いがこみ上げてきて、は不思議そうな顔をして僕を見上げた。
 今はこうしてなんの躊躇いもなく僕の隣に立っていてくれる。家の中だけじゃなく、車で街に出たり、買い物をしているときだって。たった二人きりの世界にいるよりもずっと、互いの存在を感じていられる。外的な影響を受けてようやく内在する意識を自覚して、連鎖を引き起こして思いに拍車をかけていく――――可塑的で、どうしようもない変転を連れて。僕もまたそのくすぐったい変化のことを、どうしようもなく愛おしいと思っているらしい。





 今日は僕が車を出しているから、はなんだか上機嫌だ。ドライブが好きだと言って、シートベルトを締めるなり窓を開けて、ゆるやかな風を受けている。カフェまでは車で向かえば15分もかからない場所にある。時間は14時をすこし過ぎた頃で、どこか行きたい所はないのかと聞けば、は景色を見ながらうーんと唸って、控えめに僕のほうを見やった。

「……槙島さんの好きな場所に連れてってください」

 言うなり、恥ずかしそうに顔を背ける。サイドミラーに照れた表情がぜんぶ映っているけれど。いじらしい言葉につい、からかってしまいたくなる気持ちを抑えて、微笑むだけにしておく。のことを見ていると僕はどうしても表情が緩んでしまうらしい。自分でも、こんな顔して笑っているなんてことが信じられないくらいだ。
 グソンに言ったらまた、のろけだって言われてしまうかな。それでもいい、なんだか最近の僕は色々なことを、誰かに自慢したくてたまらないみたいなのだ。

「いいよ。君を連れて行きたいところは、たくさんあるから」

 オートドライブを止めてハンドルを切る。ナビが消えて、行き先が分からなくなったはすこし不安そうにして、どこへ行くのかと怪訝そうに問うてきた。君が想像もできないような、遠くて綺麗な場所。意味深に声色を低く告げれば、は途端に顔色を変えて、シートベルトを握りしめた。

「怖いんですけど……」
「どうして。行きたいって言ったのは君だろう?」
「そ、そうだけど。なんかもっと具体的なことを教えてくれると……」
「心配しなくても、夜はちゃんと家まで送ってあげるよ」

 何の気なしに言った言葉だったけれど――は面喰った顔をして、うつむいてしまった。なに、もしかして照れてるの? こんな言葉で君が照れたり、ドキドキしたりしてくれるなら、僕はいくらでも言ってあげるのに。は本当にうぶで可愛いなあ。送ると言っておいてなんだけれど、大人しく帰すのがもったいなくなってしまうよ。

「まあ、楽しみにしておいて」

 イギリスの詩人の言葉にこういうものがある。私たち一人ひとりが航海しているこの人生の広漠とした大洋の中で、理性は羅針盤、情熱は疾風。その舵を取るのが僕自身だとしたら、惑わせる天候が君になるのかな――――なんて、君との時間のことを、僕はそれくらい尊いものだと思っている。
 、僕はね、好きが場所はたくさんあるんだ。君がそれを一つでも気に入ってくれたら、好きだと言ってくれたら嬉しい。だけど隣に君がいるのなら、平坦な景色でも騒がしい街並みでも、ひとたび舞台のように特別な場所に変わる気もしているんだ。不思議だけれど、きっとこんな風に世界は変わってゆくのだ。




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