正しく数えれば3度目のデートは僕の家ですることになった。
 2度目はあんなに渋っていたから、てっきりもう会うつもりはないと言われると思っていたけれど、は渋ることなく3度目の誘いに乗ってくれた。意外と言えばそうだし、がっかりしたかと言われればそうだ。やっぱり人間は神の信託を逃れて生きては行けないということ、かな。しかし失望にまじってまた別の予感がしているのを、僕も今さら認めないわけではない。
 シビュラの加護のもとに生まれ育ったごく普通の人間たちは、シビュラシステムを介して出会った相手と結ばれるのがごく当たり前のことだと思っている。美しい色相を持つ相手と巡り会うのも、お見合いをして良いパートナーに出会えるのも、すべて幸運のうち。自ら考えることをせず、黙って恩寵を受けようとするその姿はさながら餌を待つ家畜のようだ。に執着するのは、僕にとってもある意味で賭けのようなものだった。
 はシビュラの恩寵のもとに生まれたごく普通の人間のくせに、僕の狂気に気づいてみせた。敏感に嗅ぎ取って、僕自身の不確定さに疑問を持った。これはとても、尊いことだ。シビュラから与えられた幸運を投げ打って、特別な意思を持ちうるのだろうか。僕はただそれを見てみたくなったのだ。
 その聡い嗅覚でもって、は僕のことをどう判断したのだろう。



 この前、車で迎えに行った場所と同じところで待っていると、はすぐに現れた。鼻の先を赤く染めて、寒そうにポケットに手を入れている。僕に見られてるとはとても思っていないのだろう、油断したその姿をじっと見ていると、ようやく僕の存在に気がついたは、目が合うや否やあわてて駆け寄って来た。突進するように僕のジャケットに掴みかかって、「なにその寒そうな格好!」と大袈裟な声をあげる。ああ、何事かと思えば。

「季節考えてくださいよ! こんな薄着じゃ風邪引きますよ?」
「一番近くにあったのがこれだったんだ」
「それでも、ちゃんとコートを選んで着てください! 近場でも!」

 いつもグソンに言われているようなことも、に言われるのでは少し感じが違う。なんだか新鮮だ。が僕を見て、慌てたり困ったり、照れたり恥ずかしがったりするのを、一つひとつ見ているのはとても面白い。思ったよりもはずっと表情豊かで、感情の起伏の激しい子のようだから。理知的な反面、少し我儘に感じられるそういうところに、年相応の可愛らしさなんかを感じる。
 家について紅茶を淹れようと思ったら、自分がやると言ってが請け負ってくれた。僕よりも慣れた手つきでティーポットに茶葉とお湯を入れて、蒸らしてからカップへ注ぐ。聞けば教養の授業で習ったことがあるそうだ。つくづく真面目な子だなあと感心する。

「こっちにおいで」

 テーブルに紅茶を出してから、わざわざ向かい合わせに座ろうとするから、ソファのとなりをたたいて呼んでみた。別に向かい側に座る理由はないんじゃないかな。僕の言葉には渋い顔をしていたけれど、何度も呼べば観念したようにうなづいてくれた。少し距離を取って、ゆっくりとソファに腰かける。ただとなりに座るだけなのに、意識しすぎだよ。なんて、面白がってからかっているのは僕なんだけれど。
 僕の近くにいるときは、いつも緊張しているみたいだ。凛々しい子だと思っていたけれど、こういう女の子らしい一面を持ち合わせているのだから、なかなか狡いなあと思う。もしかして計算しているのかな。君のそういう面をもっと見てみたい、と僕に思わせるために? ……なんて、まさかね。

「君はさ、僕以外の適正相性の相手に会ったことがあるの?」
「ないですよ。槙島さんだけです」
「ふうん……どうして僕を選んだんだい?」

 聞けばぎくりとしたようだ。普段きっぱりとしているぶん、迷ったときに分かりやすいなんて素直で可愛いね。僕がじっと見つめると、すぐに居心地悪そうに視線を逸らされる。

「わたし本当は、誰にも会うつもりなかったんです。でもお母さんが勧めるから、とりあえず会ってみようと思って……」
「なるほどね。候補者は何人かいたんだろう?」
「まあ……。強いて言うなら、その、色相もきれいだし、公務員だし……外見も好みだったので……」

 槙島さんにしました、と。語尾をにごして、照れたようにうつむくから、僕はつい笑ってしまった。そんな風に思っていたんだ。外見が好み、ねえ。君も案外と俗物的なんだね。いつもはあやしいだとか、嘘くさいだとか、散々なことを言ってくれるくせに。にやにやと覗きこんでやると、は困ったように眉尻をさげて僕を睨んできた。

「でもこんな変な人だとは思わなかったし、公務員もうそだったし、シビュラの相性診断とはいえ騙された気分ですよ! いやむしろ、疑うところは疑っていこうって思ったんです。うさんくさいし、あやしすぎますもん!」
「……君はそればっかりだな。シビュラの申し子世代のくせに」
「だって、絶対あやしい仕事してるのに、槙島さんのサイコパスが濁ってないのはおかしいです。なんかの間違いとしか思えません!」
「ひどいなあ。僕はクリアで公正な人間だよ。シビュラには誤りなんかありえないだろう?」

 は少しだけひるんで口をつぐむ。なかなか、勘のいい子だ。それに正面切ってそこまで言うなんて、見た目によらず度胸もあるみたいだし。うん、やっぱり君、意思の強い目をしてる。君のその忠誠心、公正と厳格の神であるシビュラへの信奉心は、一体どこまで揺らいでくれるんだろう。

「でも槙島さんに関しては、わたし、自分の勘のほうを信じることにしました」
「……シビュラよりも?」
「だって、わたしと槙島さんの相性がいいとは思えないし」

 シビュラにあなたを勧められたとしても、素直にはうなづけません。
 拒むでもなく、否定するでもなく。そういうものの言い方だった。まるで僕そのものを見分して判断する、とでも言うような。相性良しと判断された相手だから、と猜疑せずに受け入れるのではなく、本当にそうであるのかと、判定そのものに疑念を持つ。今時そういう考え方が出来るなんて珍しい。やっぱり君には素質があるみたいだ。その燃えるような意思、自我は、どこまで僕に差し迫ってこれるのか、興味があるよ。

「君の勘では、僕はうさんくさいあやしい人ってことになるけど。それでも会ってくれるのは、僕がシビュラの勧めた相手だから、かな?」
「……わかりません。でも、槙島さんには不思議な魅力があると思います。人を惹きつけるような、惑わせるような、魅力が……」

 身体を少し近寄せるだけで、おびえたように後ずさりをする。ほら、僕のことをこんなにもあやしがってる。僕らを引き合わせたのは他でもない、君に無菌室を与えた潔癖のシビュラそのものなのに。どうしてそんなに怯えるんだい。ゆっくりと距離を詰めながら、指先を絡め取ると、冷たいそれがぴくりとふるえた。不安そうにまばたきをして、推し測るように僕の顔をじっと見つめている。
 われわれの人生は織り糸で織られているが、良い糸も悪い糸も混じっている。それが真実か虚構かを見定めるのは、僕たちの目だ。何事にも惑わされずに、自分の勘をたよりに真実を見抜けるだろうか。


「僕のことを暴きたいのだろう。そういう目をしている」


 そして僕もまた、同じように。
 固く引き結んだくちびるにそっと口づけると、はじっと黙ってそれを受け入れた。柔らかく小さなくちびる。かすかに紅茶の香りがする。ほんの一瞬触れただけなのに、頬を真っ赤に染めて、両手で覆ってそれを隠そうとする、少女のようなその姿に胸が鳴った。
 僕らを出会わせてくれたシビュラに、僕は少し感謝していなくもない。こんなに面白い素材にめぐり合わせてくれたんだから。どこまで暴けるだろう、どこまで暴かれるのだろう。僕らはきっとそういうふうに、互いを喰らっていくのだ。


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