槙島さんの書斎は広く、見たこともないような本がたくさん並んでいて、資料集で観た旧時代の図書館のようになっていた。きれいなハードカバーの本もあれば、茶けた文庫本もある。紙の本であればそれでいいらしい。色んな種類の本があって、槙島さんはどれもずいぶん読みこんだのだと言っていた。好きな本は、経済の本と、哲学の本と、SFの本。特に最後のそれは少し意外だった。それでも本の内容を語ってくれる槙島さんは子どものように無邪気で、楽しそうで、本当に本が好きなのだと伝わってくる。
 ……って、なにうっかり書斎に入ったりしてるんだろう。でも少し見てみたくなったのだ。こんなにたくさんの紙の本を集めているあたり、やっぱりすごく変な人だなあと思うけど。今時、紙の本なんかどこで売っているのかも分からないし、お金と時間がなければこんなに本を集めることもできるはずがない。
 本当にここで生活しているんだろうか? 一人で? 機械的なものは嫌いだと言っていたから、掃除ドローンもホロアバも使ってないみたいなのに、一体どうやって暮らしているんだろう。あんなに不器用っぽい、のに。




「……そんなにじっと見つめて、どうしたの?」

 片手に取った本に視線を落としながら、槙島さんはわたしのほうを見ずにそう言った。わたしが怪しがっていることに気づいているんだろう。きっと最初から。最初に会ったときから。それでもわたしを2度目のデートに誘ったし、今もこうして家に招いていたりしている。その意図はよく、分からない。

「槙島さんって何者なんですか」
「それは難しい問いだな。僕は僕だとしか、言いようがないからね」

 本を閉じて本棚に戻す。ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる槙島さんは、相変わらずの美しい顔で不敵に笑っていた。その笑みを見つめているとなんだか不安になる。どきどきと胸が高鳴っているのを、一体どこまで隠しておけるだろう。

「君の思っているとおりだよ。たぶん君にとっては、とても怪しい存在」
「…………!」
「それでも君の信奉するシビュラシステムは、僕らを結び付けた。これはどういう意味だろうね。僕たちはお互いに、相手の理想をかなえることが出来る、ということかな。シビュラはなにを以ってそう判断したのだろう?」

 じりじりと壁ぎわに追い込まれて、ぐっと息を飲む。やっぱり槙島さんは、本当にうさんくさい人だった。気軽に踏みこんではいけない相手だったのかもしれない。シビュラが、わたしにこの人を勧めてくれたのは、どうしてだろう? 顔を上げるとすぐそばで、槙島さんの長いまつげがまばたきをして、息が止まりそうになる。恐ろしくなってしまうほどきれいな顔だ。こんなにも訳の分からない人なのに、どうしてこんなにも、惹きこまれてしまいそうになるんだろう。

「少なくとも君が、僕を怪しんでいるのが、面白いなと思ったんだ。君はシビュラを盲信しているようだけれど、シビュラが引き合わせた僕のことを、あまり信用してはいないようだった。シビュラを信じずに、自分の勘のほうを頼りにしたんだ。……これってすごく、面白いことだと思わないかい?」

 くす、と笑った槙島さんは、そっとわたしの頬を撫でた。冷たい指先にぞわりと鳥肌が立つ。それを振り払って、押しのけると、槙島さんは少し驚いた顔をして距離を取った。触れられたのが、さっき多めにお金をもらった帳尻分なのかもしれないと思ったら、途端に気持ち悪くなったのだ。面白いもなにも、本当にあやしいから、会わないでおこうと思っただけなのに。信用なんかできなくって、あたりまえだ。こんなにうさんくさいんだから。

「……言わせてもらいますけど、本当に、あなたのこと、怪しいと思ってます。シビュラ判定を疑いたくもなりますよ。だって26歳にもなって生活力ないし、どじっこだし、靴下履いてないし、なんかもう意味わかんないくらいお金持ちだし、なんで相性良いのがわたしだったんだろうって」
「…………どじっこ?」
「お財布忘れてたじゃないですか。それに、紅茶もまともに淹れられないし。ドローンも使わないで、一体どうやって毎日生活してるんですか? 何のお仕事してるか知らないですけど、お金持ちすぎてなんか怖いんです」

 わたしと相性良いなんて、とても信じられません!
 ……勢よくまくしたてると、槙島さんはきょとんとした顔でわたしをじっと見つめた。そんな顔されても、驚いているのはこっちだって同じだ。なんかもう、なにに驚けばいいのかもわからないし、どんな顔をすればいいのかも、全然分からない。槙島さんが怪しい仕事をしていることより、どじっこって言われて不思議そうな顔してるほうがよっぽど、わたしとしては疑問なんですけど。

「……だって、あんまり、自分で淹れたことがなかったんだ」
「紅茶をですか?」
「うん。そういうのは本当に、苦手でね。いつも人にやってもらっていたから」

 ……ああ、あきれた。悪びれない様子で、そんなことを言ってみせる槙島さんを見上げて、睨む。この道楽お坊ちゃまめ。なにを言おうかとぐるぐる思考をめぐらせていると、槙島さんは首を傾げて「そんなに怒らないでくれ」と、なんとも気の抜ける言葉をつぶやいた。壁ドンして、頬なんかに触れておいて、怒らないでだって? どの口が言うの! ついかっとなって唇を噛む。ばかにしないでと叫んで、飛び出してしまおうかと、手のひらをぎゅっと握りしめたその瞬間。

「――――?」

 洗濯の終わる音が、ピー、ピー、と鳴った。
 なんでこのタイミングで鳴るのか、心底うらめしく思う。ありえない。しかも目の前の槙島さんは「なんの音だろう」みたいな顔をして考えていて、それにまたいらっとして、ああもう、ついに地団太を踏んで、槙島さんの腕をつかんで書斎を飛び出した。

「洗濯機です! 洗濯が終わった音! 早く干さないと、しわになっちゃいますよ!」
「ああ、なるほど。洗面所は、こっちだよ」
「洗濯も自分でやらないんですか? 干したことは?」
「あんまりないな。やり方が分からない」

 絶句した。とりあえず洗濯物を干してあげた。せっかく広くてすばらしい洗面所があるのに、このひとなんっにも活用してない。洗濯物つっこんで、洗剤を入れて、このボタンを押すだけですと説明しても、「そうなんだ」と適当に返事をするだけでまったく聞いてなんかいなかった。挙句には「手際がいいね」なんて素直に褒めるものだから、なんかもう全部どうでもよくなって、干しっぱなしだった洗濯物を取り込んでたたむところまでしてあげたのだ。信じらんない、このアラサー!


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