「入って、てきとうに荷物置いていいよ」

 都心の居住区のはじのほうにある高層マンション。ぞくにいうセレブゾーンの一画で、一般家庭の経済力じゃとても住めないレベルの高級マンションに、槙島さんは住んでいた。
 玄関口でわたしのPSYCHO-PASS認証登録を済ませ、奥のエレベータに乗って上へと移動する。わたしは槙島さんのうしろを黙ってついて行くだけだ。何階なのかと聞けば、当たり前のようなトーンで「52階」と教えてくれた。
 それ、ほとんど最上階じゃないですか。引いた。


 ロックを解除してすたすたと部屋まで入っていく槙島さんを、あの、と呼び止める。てきとうに置けと言われても、この広いフロアのどこに置けばいいのか分からないし、どこに行けばいいのかもわからないし、完全にわたしだけ場違いなんですけど。玄関を開けた瞬間から、なんかもう空気が違う。高級ホテルみたいなファブリック。しかもこれ、ホロじゃなくって本物なんじゃ……? え……? なにこれ……。

「槙島さんって、お金持ちなんですね……」
「はは、違うよ。ここは知人が貸してくれた物件でね」

 知人がこんないいマンションを貸してくれる、なんて普通に生きてたらありえない出来事だと思うんだけど。やっぱり、すごい、あやしい。槙島さんは「そんなにかしこまらなくていいよ」と、脱いだジャケットをソファに放り投げながら笑った。ああ、せっかくの良いジャケットがしわになってしまう。ハンガーにかけてあげたい、あのジャケットを。
 わたしがぼんやりしているうちにキッチンのほうに移動して、槙島さんは紅茶を淹れてくれた。オートサーバじゃなく、今時珍しい旧式のティーバッグで出すやつだ。ソファに座って、じっとその様子を見つめていると、槙島さんが「あつ、」と小さく声を上げて食器がカチャカチャと不穏な音を立てた。え? 危なっかしい。なにその手慣れてない感じ。このひと、もしかしてこんな外見してすごい不器用なの? やっぱりどじっこなの?

「わ、わたし自分でやりますよ」
「いいよ。君はお客さんなんだから、座ってて」

 槙島さんが紅茶を運んでくれるのを、そわそわしながら待って、そっと辺りを見渡せばやっぱり高級感に溢れた立派なおうちだと実感した。モデルルームみたいだ。まるで人が生活している感じがまったくしない。それでも机の上に、これも今時珍しい紙の本や、ティッシュ箱とかコースターとか、ほんの少し生活感のあるものを見つけてほっとする。とりあえずは、槙島さんはちゃんと生きている人間のようだ……もう本当に、そこから心配になる次元の話だ。

「お待たせ」

 はっと顔を上げて、ありがとうございます、と取り繕うように礼を言う。しまった、あからさまにきょろきょろしていた……恥ずかしい。テーブルの上には、紅茶とさっき買ったクッキーがおしゃれな皿に並べられて出てくる。わあ、なんかティーカップからして、もう生活水準が違う。挙句の果てに、槙島さんはおもむろに財布を取り出して、「今これしかないんだ」とお札をいちまい握らせてくれた。

「さっきはありがとう。偶然とはいえ、君に会えて良かったよ」

 貸したお金が数倍になって手元に返ってきた。普通に、引いた。


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