約束の夏祭りには浴衣を着てきた。
 渋めの赤に色とりどりの金魚の模様が入っている華やかな生地に、髪をまとめて、普段の私服姿でも相当ヤバイのに、こういう風にイレギュラーな攻め方をされるとどうしたらよいか分からずさすがの俺も戸惑ってしまう。とりあえず可愛い、という感想を一言だけ伝えておいた。本当はもっと色んな言葉にして賛美してやりたかったが、うまくまとめられなさそうだから無理をしないことにしたのだ。それでもは嬉しそうに笑っていたからきっと俺の気持ちは伝わっているのだと思う。は俺が何を言いたいかのをいつもすぐに汲み取ってくれるし、たまにエスパーみたいに俺の心を読んだりさえするのだから、これできっと大丈夫なのだろう。
 屋台を回っていると案の上、焼きそばを売る君下に遭遇したが、が買いたいなどとふざけたことを言いだす前にその手を引いて足早に店の前を通り過ぎることにした。の浴衣姿を君下なんかに見せてやるのはもったいないし、サッカー部やクラスメイトの奴らにも遭遇しないように、俺は注意深く周りを見下ろして、あれこれとルートを選びながら出店を回ってゆく。背が高いとこういうときにとても役立つのだ。混雑していても視界はおおむね良好だし、と少し離れてしまっても、その腕を引けばすぐに俺の傍へ引き戻せるのはなかなかに都合が良い。

「さて、そろそろ行くか」
「えっ、どこに?」
「穴場がある。着いて来い」

 射的やらヨーヨー釣りやらを遊び尽して、たこ焼きやクレープなんかを食べて一通り満足したところで、打ち上げ花火が始まる前に近くの公園へと移動を始める。その公園は遮るものがなく、花火が見やすい絶好の場所なのだ。ごみごみした場所で見るとどうも落ち着かないし、会場に近いわりに人気が少ない。それに俺はどうしてもとふたりっきりになりたかったから、そこに連れ出す以外の方法が思いつかなかった。
 祭から離れて歩いていくうちに、暗闇と静けさが俺たちを囲んで、騒がしく流れていた空気がゆっくりと変わっていく。蒸し暑く、息苦しささえ感じるが、妙に汗をかいてしまうのは何も暑いからという理由だけではないのだろう。手を繋いで歩きながら少しずつ、二人の間の距離が縮まっていくのはなんとも、居心地が良かった。やっぱり連れ出して良かったと俺は内心でほくそ笑んでいた。
 ふと、が地面につまづいて俺の手をぎゅっと強く握りしめる。ちっぽけなの身体を支えてやるのは簡単だったが、よく見ればその足の指先が赤く腫れているのに気がついた。俺はしゃがんでの足に下駄を履かせてやりながら、その指先に触れてみる。ずいぶんと痛そうだ。

「痛っ、」
「靴擦れか?」
「う、うん……。下駄ってすぐ靴擦れしちゃうんだよね」

 そうか、気づかなかった。気を遣ってやれなくて悪いことをした。公園まで抱きあげて運んでやろうかと言えば、は全力で首を横に振って(なにやら照れているらしい、可愛いやつめ)、あと少しだから歩くと言って自分からもう一度、俺の手を捕まえた。
 さっきからなぜか、胸がドキドキと高鳴っている。公園についてまずをベンチに座らせて、自販機で買ったばかりの冷たい飲み物を手渡す。帰りはうちの者に車で迎えに来させると言っても、はそれすら断ろうとした。とは言えこんな状態のを歩いて帰らせるわけにもいかない。は平気だと笑っているが、俺が詰め寄れば、平気なのにはちゃんと理由があるのだと、俺から目を逸らしながら小さく呟いた。

「なんだよ、それ?」
「……喜一には秘密」

 目の前で内緒にされるのは心地よくないが、俺にはどうしてかその理由が分かるような気がして、ふと口を閉ざす。俺もついにエスパーになったのかもしれない、が俺のために我慢をしてくれていること、そしてそれはにとって苦ではないのだと、そう言ってくれてる気がして、嬉しくて堪らなかった。
 花火はもうすぐ始まる。俺たちはベンチに座りながらくっついて、ただ黙っている。俺が「」と、呼びかけたタイミングで、はちょうど俺の方を見上げた。夜の星が映り込んでいるみたいに、の瞳はきらきらと輝いて見える。見惚れてしまうくらいに綺麗だ。艶々と光っている唇も、赤い襟に映える細い首筋も、全部が綺麗でうっとりする。祭囃子はもう聞こえなくって、ただ静かな夜をセミの声だけがうるさく鳴り響いていた。

「キス、してもいいか」
「……うん」

 心臓が、耳にあるんじゃないかと思うくらい鼓動している。の小さな唇に一瞬だけキスをして、すぐに離れる。ちゃんと触れたはず。なのに、まだ足りないと俺の身体は言ってる。足りない、こんだけじゃ全然、満足できん。
 見つめ合えばは頬を赤く染めて、ふっと笑い出した。恥ずかしくってたまらないって言って、顔を隠す、その手のひらをつかまえて俺はもう一度キスをする。今度はさっきよりも少し長く。が苦しいと言って身をよじるまで、俺はその唇を奪ってやった。ああ、ようやく、満たされた感じだ。

「……ねえ、花火、はじまるよ?」
「ん」
「喜一……、」
「もう一回」

 うそだ、やっぱりまだ、少しも足りてない。の顔は小さいから、片手で簡単に固定してしまえる。その首筋に触れながら、も汗をかいているのが分かって少し興奮した。体温が伝わるほど近くって、お互いの吐息がこぼれるたびに、目の前がチカチカと点滅する。眩暈がしているみたいだ。恥ずかしがって目をぎゅっとつぶっているが可愛くって、俺はつい盛り上がってしまって、その細い身体を抱き寄せながらの口の中に舌を差しこんだ。熱い、ぬるっとしたそれが音を立てて絡む。とにかく、可愛い、エロい。可愛い。舌先に強く吸いついたそのとき、の身体がおおげさに強ばったのが分かった。

「――いやっ!」

 けっこうガチな力で突き飛ばされて、はっとする。えっ、と思ったときには、さっきまできらきらと輝いていたはずのの瞳に、溢れんばかりの涙が浮かんでいた。えっ。泣いてる。

「き、喜一のばか……!」
「……わ、わるい……?」

 反射的に謝ってしまったが(この俺に無意識に謝らせるとはつくづくあなどれん、特殊能力を持っているとしか思えない)、がなんで泣いてるのか全然意味がわからずぽかんとしてしまった。キスされるのが実は嫌だったとか。そんなまさか。涙をぬぐうの顔を覗きこむと、えいっと頬を力強く押し返されてしまう。顔も見たくないということか。なぜだ。

「あ。もしかして舌入れたから」
「〜〜〜っ! な、なんでそういうこと、口に出して言うの……!?」

 は真っ赤な顔をさらに火照らせて、俺の胸をドンと叩く。いつだったか臼井先輩に、女心は複雑なんだとアドバイスをもらったことを思い出した。女の子という生き物は繊細でちょっとしたことでもすぐ泣いたり怒ったりするから、慎重に対応しろと。下手を踏むとこじれて修復が面倒なことになるから、そういうときはとりあえず謝っておけばどうにかなるらしい。ああ、すっかり忘れていた。いや、むしろ分かっていても、今のは色んな意味で止められなかったと思う。この場をどうするべきかと色々考えてはみるけれど、何にも良い案は思いつかなかったから、俺はとりあえずもう一度謝ってみる。ごめん。

「でも、が可愛すぎるのが悪いだろ」
「……か、可愛いって言えばいいと思ってるでしょ」
「はあ? 本当のことだからしょうがないだろ。俺は嘘がつけんのだ」

 いいからこっちに来い、と言って腕を引き寄せればどういうわけか、はあっさりと抱きしめられてくれた。どうやら俺に触られるのが嫌というわけではないらしい。良かった。ただ恥ずかしがってただけのようだ。ふん、いじらしいやつめ。
 しかしゴテゴテした浴衣の帯が邪魔で、どうやって抱きしめればいいのか一瞬悩んだが、俺の服をぎゅっと掴んだが、俺の胸にその頬をぴったりと押し当てて、「ドキドキしすぎて、死んじゃいそう」と、そんな可愛いことをぼそっと、ため息交じりに、呟いたせいで、それまで考えていた色んなことが一瞬で吹っ飛んだ。
 あーーーーーヤバイ。たまらん。俺の方が死ぬ。もっかいキスしたい。慎重な対応とは一体なんだ。最善策とは。遠くで花火の音がしている。どうやら始まったようだ。考えがまとまらない、ええい、考えても、きっと無駄だ。

「悪い、。先に謝っとく」
「喜一?」
「我慢できない」

 あれもこれもどう考えても全部、が可愛すぎるのが悪い。もう一回、強引にキスをしてみると(一応、舌を入れるのはやめておいた)、今度は頬を思いっきり抓られてしまった。痛い、だが俺はサイコーに幸せだ。さっきまで泣きそうな顔をしていたはずのは、今度は「反省してない!」とプンプン怒り出して、不機嫌になってしまったが、花火が終わるころにはようやくいつも通りに戻って、迎えの車が来るまで大人しく俺の隣に座っていてくれた。
 靴擦れが痛くて逃げ出せないのだと言って、俺からそっぽを向きながらも、の小さな手はちゃんと俺の手の中におさまっている。これが俗に言うツンデレというやつか。何だっていいが、とにかく好きだと思った。幸せだ。もっと触れるにはどうしたらいいのか、色々と考えてみるけれど、いきなり色んなことを求めすぎてもいけないのだろう。
 俺には俺のペースがあるように、にはのペースがある。俺は同じ速度で、同じペースで、ずっとのとなりに立っていたいと思った。だから少しは努力して、我慢してやってもいい。……ほんの少しだけなら。あんまり自信はないが。





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