明日も頑張ってね、おやすみ。そんな言葉でしめくくられたいつも通りのメッセージを閉じて、狭いベッドに両手足を投げ出す。夏休み、遠征が始まって早1週間。強豪校との合宿はそれなりに楽しい。俺よりは弱いがそれなりに強い奴らとサッカーができるし、ハードすぎる練習にバカじゃねえのかと何度かぶち切れそうになったけど、ストイックに一日中ボールに触っていられる喜びは、合宿や夏休みでしか味わえないものだ。
 去年はこんな風には思わなかった。今よりも何も考えてなかったし、自分がボールを持ってシュートを決めて活躍する、そういう当たり前のビジョンしか持てなかったし、それ以外のことをするつもりもなかった。2年になって俺も少し成長したのか。サッカーすること、先輩と、後輩と、身を粉にして走ること、チームのために、チームで勝つために。頭の中で考えていた点のような思いがどんどん線になっていく。
 これは嬉しさだろうか。自分の変化についていけない身体がムズムズしている。武者震いってやつかもしれない。ベッドに横になりながら俺は、ついさっきまでのとのやりとりを読み返して、気がつけば通話ボタンを押していた。呼び出し音が長い。

『――もしもし、喜一? どうしたの』
「遅い。もっと早く出ろ」
『これからお風呂入るって言ったじゃん……』

 そうだった気もする、けどその前にタイミングよくスマホを見てくれて助かった。よく分からないが無性に電話をしなければならない気がしたのだ。声を聞くのは久しぶりで、遠征でこっちに来てから夜に何度か電話をしていたが、ここ数日は俺が疲れ果てて電話をする余裕がなかった。体力、というのが俺の唯一の、たった一つの課題で、やっぱり早急にどうにかしないといけないのだと思う。

『急にびっくりした。さっき、おやすみって言ってたのに』
「うん。でもなんか急に、電話したくなった」
『そっか……嬉しいけど』

 心臓がきゅうっと締めつけられる。痛い。なぜだか深いため息が出て、電話越しにに心配をされたけど、強いて言えばのせいだし、大丈夫かと心配をされたところでモヤがかった胸の中は晴れたりしないのだ。嬉しさとイライラみたいなものがごちゃ混ぜになっていく。
 は今日はずっと家にいたと言っていた。明日は友達とどっか遊びに行くって。思い返せば俺たちは付き合い始めたばっかりなのに、俺はすぐに遠征合宿に来てしまったから、夏休みに入ってからはまだ一度も会っていないのだ。連絡こそ取っているけれど、デートさえしていない。どんどん暗い気持ちになっていく。合宿は楽しいしサッカーもしたい、けど、にも会いたい。なんで俺はこんなところにいるんだ。むしろが来い。色んなことを考えて、口を出ていくのは深い深いため息ばかりだった。

『寝てる?』
「寝てない。起きてる」
『ため息多いね。疲れてるの?』

 うん、と頷きながら俺はそんなに疲れていただろうか、と自問自答する。そんなに疲れ果てているわけではない気もする。だけどの問いかけに俺は、当たり前のようにそう答えていて、ああそうか、俺はに甘えたいのだと、そういう自分の情けなさを自覚して少し恥ずかしくなった。

「来週の水曜日の夜」
『うん?』
「帰るから。木曜日、空けといて」

 電話越しにが照れて、笑ったのが分かる。ついに電話を切るそのときまで俺はため息ばかりついていて、スマホを持っていた腕ごとベッドに投げ出しながら、そのまま眠ることにした。
 顔、見たい。に早く会いたい。昼間、サッカーしているときはこんな風に苦しく思ったりしないのに、夜になって一人になれば無性に思い出してしまう。なんつー女々しさだ。これは良くない。なにが良くないって、に会いに行けないこの距離が良くない。





 東京に戻ってきた水曜日の夜、明日の待ち合わせの時間と場所を決めて、寝坊しないようにとその日はすぐに寝た。姉さんに9時まで俺が起きてこなかったら起こしてくれと頼んでおいたが、奇跡的に8時半に自力で目醒めることができた。さすがは俺だ。余裕を持って支度をしていると、練習がない日に早起きするなんて、テンペンチイが起こるだの何だのと姉さんが脅えていたが、何を言っているのかちょっとよく分からなかったので放っておいた。日本語を喋れまったく。
 自分で歩いて行くからいいと言ったのに、運転手が気を利かせて駅まで送ってくれて、履きつぶしていたスニーカーのかかとを待ち合わせ場所についてから直した。はどこからどうやって来るのだろう。聞けば良かった、むしろ迎えに行けば良かった。だけどは駅で待ち合わせすること自体を楽しみにしていたから、きっとこういう形で待ち合わせをするのが正解だったのだと思う。
 いつになく少し緊張している。待ち合わせまではまだ随分時間がある、送ってくれたから早く着いてしまったようだ。さすがにまだ来ていないだろうと、辺りを見回して、変な形をしたオブジェの向こう、寄りかかるようにしてが立っているのを見つけて、俺は心臓が口から飛び出るかと思った。
 間違いない、あれはだ! まだ15分も前なのに。送ってもらって良かったと心底安堵しながら、急いでの元に駆け寄る。

!」
「……喜一!? 早いね、どうしちゃったの」
「こっちの台詞だ。ずっと待つつもりだったのかよ」

 は少し照れた顔をして「落ち着かなくって早く来ちゃった」なんて可愛いことを呟くから、俺はもう、頭を抱えた。だって私服姿がめちゃくちゃ可愛いし。白いブラウスに花柄のスカート、小さいバッグを手に持っていて、伸びた髪をハーフアップにして宝石のような飾りをつけている。よく見れば少し化粧をしているのか、目元や口元がキラキラつやつやと光っている。
 ヤバイ。ってこんなに可愛かったっけ。色んなものを神に与えられすぎだろ。何か重大な犠牲を払っているんじゃないのか。他の女子たちとは一線を画している、神々しささえ感じさせるの笑顔に俺はつい顔を両手で押さえて、その場にしゃがみ込んだ。やっぱりため息が出る。ああ、でもこれはただのため息じゃなくって、胸をいっぱいするよく分からない感情がつい零れていったものだ。

「あーくそ!」
「喜一?」
「会いたかった!」

 ずっと我慢してた。黙っていても笑ってしまう口元を隠して、見上げればは真っ赤になって、困った顔をして笑った。ああ、ちくしょう可愛い。今の俺は無敵かもしれない。





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