放課後、成績について呼びだしを喰らっていた沢村と降谷がようやく部活に合流したかと思えば――――とんでもない客を連れて戻ってきた。

「御幸一也にお客さんです!! ちなみに、ファンではないそうです!!」

 そう叫ぶ沢村と降谷のうしろに隠れているのは、だった。
 風邪でぼうっとしている頭で、とっさに状況を把握できずに唖然とする。だけど間違いない、本当にだ。あの二人と並んでいるといっそう小柄に見えて、この青道のグラウンドに足を踏み入れているということがまるで信じられなくて、何の実感も湧いてこないけれど、何度まばたきをして見てみても、沢村と降谷のあいだに立っているのは本人だった。
 もしかして俺が風邪を引いたと連絡をしたから、心配で様子を見に来てくれたんだろうか。そう思えば居ても立ってもいられなくなって、俺は列を飛び出してのほうへと駆け寄って行った。

! おまえなにして……!」
「なにって」

 ――みゆきが具合悪いって言ってたから。
 はそう呟いて、じろりと睨むように俺を見上げた。お、怒ってる。まあ当然か。それでも心配でわざわざ会いに来てくれたっていうのが嬉しくて、俺はついつい頬が緩むのを止められなかった。ああ……なんかすげー嬉しい、抱きしめたい。……なんて悶々とした衝動に駆られる一方で、向けられる野次馬たちの熱烈な視線が気になって、すぐにそれどころではなくなる。
 あいつら興味津々なのバレバレ、じろじろ見すぎ。やらしい目で見るなよって叫びてーけど、先輩もいる手前どうにもできないし……。さっき可愛いとか呟いてた奴もいた気がする。ああ、なんかムカつく。のことをみんなに自慢したいような、誰にも見せたくないような、よく分からない複雑な感情が胸をひしめいている。
 とりあえず俺はの腕を引いて、連中に見えないように自分の身体の影に隠した。

「いや、うん、そう。風邪引いたみてーでさ……」
「鼻声だし。部活参加できるの?」
「そのつもり」

 だけど、と言おうとした俺の頬にぴたりとの手が添えられた。
 冷たい。その温度に触れて、俺は自分の体温がさっきよりずっと高くなっていることを自覚する。熱、けっこう上がってるのかも。頭もぐらぐらしてきたし……いつも以上に心臓がドクドクうるさいような。
 ふいに視線を感じて横を見やれば、沢村と降谷がすごい顔をしてこっちを見ていた。ふたりとも、すげーバカそうな顔してやがる。いや、アホ面か、まあどっちでもいい。思わずふっと笑みがこぼれて、俺はの手を捕まえながら、ふたりを部活に合流するように促した。

「わりい、俺、今日休むわ。ついでにこいつ送って行くから」
「は、はい! つまりそれは、さぼりってやつで……」
「バーカ、ちげーよ。風邪だ。風邪」

 妙なことを言わないようにしっかりと釘を刺して、俺はの背を押してグラウンドを出る。最後にちらりと振り返って、哲さんに視線を送っておく――――けれど伝わったかどうかは分からない。まあいい、どっちにしろこの分じゃまともに練習できそうもないし、大事を取って休むに越したことはないのだ。
 はあ、とため息をつけばはくるりと俺の方に振り返った。まじまじと俺の全身を見やって、「へえ」と感嘆の声をあげている。

「なんだよ」
「こんな感じで部活やってるんだと思って……」
「はは、格好良いって惚れ直した?」
「はあ? ばかじゃないの」

 風邪引いてるんだから早く寮まで案内して、と怒っているを連れて、俺は寮に向かって歩みを進めた。







 部屋の扉を開けて入った瞬間、糸が切れたように身体が重くなった。ふらふらと進んで、床に腰を下ろしてしまえばもう立ち上がれそうにない。部活に出ると思って気を張っていたから気づかなかったけど……、普通にマジで風邪引いてるし、けっこう悪化してきてるのかも。
 おそるおそる部屋に足を踏み入れたはそっと俺に近寄って、今度は俺のひたいに手を当てた。冷たいそれがちょうどよくて気持ちいい。俺は目を閉じて、が体温を測ってくれるのに身をゆだねた。

「熱い」
「んー」
「みゆき、すごい熱あるでしょ……体温計は?」

 ない、と呟いて首を振る。は俺の前にしゃがみこんで、背負っていたリュックの中から水と市販の風邪薬を取り出した。俺のために買ってきてくれたのかと思えばすげー嬉しくて、胸の奥がじんわりと熱くなっていく。わざわざ俺のために……、学校帰りに遠回りまでして。あの面倒くさがりのが、万年帰宅部のが、俺だけのために……。

「みゆき……聞いてる?」
「ん、え?」
「薬飲んで、はやく寝なよ」

 俺を覗き込んで労わってくれる、の優しさに無性に甘えたくなった。どうしてだろう、風邪のせいか妙に人恋しいような。一番会いたかったが俺に会いに来てくれて、そして俺の部屋で二人きり、という状況に舞い上がっているのかもしれない。
 俺は近づいてきたの腕を掴んで、がばっと抱き寄せる。バランスを崩したはすぐに膝をついて、俺の胸に飛び込むように寄りかかってきた。あー、良い匂い、小さい、柔らかい、気持ちいい。すうっと深く息を吸いこめば、胸が詰まるような熱いため息がこぼれていく。うん、元気出る……。

……好きだ」
「はあ? みゆきほんと、だいじょうぶ?」
「だいじょう……ぶ、じゃない」

 俺の腕を引き離しながら(普段ならぜったい離してやんないのに今日は力が入らない)、はてきぱきと薬を用意してペットボトルのキャップまで開けて持たせてくれる。至れり尽くせり、嬉しいけどなんか情けねー、俺。とりあえず薬を飲みこんで、言われるがままにベッドへ移動する。
 頭がぐらぐらする。早く寝て治さねーとしばらく引きずっちまいそうだ。しかし、せっかくと部屋で二人きり、しかも同部屋の人たちも部活中でしばらくは戻ってこない絶好のチャンスなのに、むざむざ逃すわけにもいかない……という俺の下心がフルで稼働しているのも事実なのだ。
 どうしようかとまとまらない頭を働かせながら、眼鏡を取ってユニフォームを脱ぎ捨てる。部屋着に着替えようとアンダーウェアに手をかけたところで、ふと視線を感じて振り返れば――ベッドの縁に腰かけたが、じろじろと俺を見上げているのに気がついた。
 あれ、なにその反応。……もしかして照れてんの? 今さら? 眼鏡がなくてよく見えないから、俺は着替えるのを一旦やめての隣に腰を下ろす。アンダーウェアは肌にぴったりと密着する素材で、身体のラインが浮き彫りになるから、これが好きって言う女の子は実は意外と多かったりするのだ(先輩調べ)。近いと嫌がるの腕をつかめば、は俺を押しのけるようにのけ反って、やだと呟いて顔を背けた。

「なに照れてんの」
「…………べつに」
「着替えてるの見てドキドキした?」

 ふざけて言ったつもりなのに、は図星を突かれたのか――一瞬で頬を赤く染めた。
 ああ、まずい、このシチュエーションは。……が可愛すぎる。思わず頬が緩んでしまうのを止められず、ニヤニヤしたまま距離を縮める。、すげー可愛い……このままキスしたい。怒られっかな。まあ、それでもいいや。細く華奢な手首を掴んで身体を寄せれば、は潤んだ瞳でまっすぐに俺を見据えた。
 照れて拗ねた顔、俺の部屋、ベッドの上。雰囲気はバッチリだ。思わずゴクリと唾を飲んで、俺はこのままの唇を奪う――――つもりだった。

「風邪移る」

 やめて、と無情にも顔を押さえつけられて、俺の欲望は目前にして阻まれた。あっ、はい、そうですよね。ゲホゲホと咳さえ出始めた俺には反論する余地もない。とりあえず早く着替えて寝よう……、ぼんやりする視界をこすりながら、部屋着に着替えてベッドに横になった。

「……なあ、帰んの、?」
「え? うん……水、冷蔵庫に入れておくね」

 俺に背を向けて、は後片付けをして、なんとなく帰るような素振りを見せている。無性に寂しさを感じて、ついわざとらしく拗ねてしまう。俺、なんかきもいな。けれど一度、優しさを味わってしまえば、もっともっとと我儘をねだるようになってしまうのだ。
 悶々としている俺をいなすように、はベッドの際に座って俺を見下ろした。早く寝ろ、とその目が言ってる。優しいんだか、いつも通り辛辣なんだか……よく分からない。さっき飲んだ薬が利いてきて、段々と眠気が襲ってくる。途切れそうになる意識を必死につないで、へと手を伸ばした。

「……みゆきが眠るまでここにいるよ」
「ん、」
「早く風邪、治してね」

 の手の平は冷たくて、やっぱり心地いい。思わずぎゅうとつかんで、離すまいと引き寄せる。帰るなよ、なんて甘えたな台詞、恥ずかしくて言えねーけど。すぐそこまでやって来ている眠気と闘いながら、ウトウトと瞳を閉じる――そのときに、ふとくちびるになにかが触れた。
 頬にさらりと落ちてくるのはの髪だ。目を開けばすぐそこにの顔があって、丸い頬がすこしだけ赤らんでいる。ああ、もしかしていま、キスをしてくれたんだろうか。ぼんやりしていて、夢か現かはっきりしない。願わくば夢なんかじゃありませんように……そんなことを思いながら、俺は安堵感に身をゆだねてそのまま眠りに落ちたのだ。
 あー、なんか俺、すげー幸せかも……。風邪引いてるけど。

おさななじみのみゆきくん6 (150921) これって俺の勝ち……なんじゃ?

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