みゆきから「風邪を引いた」と一言だけラインが来た。
 だいじょうぶかと返せば、すぐにだいじょうぶじゃないと返事が返ってくる。起き上がれない、具合悪い――なんて珍しく泣き言のようなメッセージがいくつも入って、さすがに心配になって電話をしてみたけれど、みゆきがそれに応じることはなかった。
 もしかして倒れてるんじゃないか。ふと嫌な予感がして、わたしは思わずその場に立ち上がる。みゆきから連絡が来たのは、ちょうど帰りのホームルームが終わったばかりの15時半だ。みゆきは寮に住んでいるけれど、放課後は部活があって野球部の友だちはみんなグラウンドに向かうはずだから、風邪で寝込んでいるみゆきは部屋に一人取り残されて、風邪をこじらせて息絶えているんじゃないかと――そう思えば居てもたってもいられなくなってしまったのだ。

 みゆきは子どもの頃から妙に大人びていて、家庭の事情も含めて親離れだったり、精神的に自立するのが周りの子たちよりもずっと早かったように思う。近所だったうちに何度も遊びに来ていたし、わたしの両親も自分の子どものようにみゆきに接していたけれど、それでもどこか一線を引いているような感じがしたのは――みゆきが大人にうまく甘えられない、そういう不器用さを持っていたからだ。
 気を使うのが嫌だからと突っぱねる、まるで自分勝手のような言い分だけれど、一人でいるほうが楽だと言うみゆきのことを、責めることはけっして出来なかった。母親がいない生活というものがうまく想像できなかったし……むやみにお節介を押しつけて、みゆきを傷つけたくはないと思っていたから。
 高校生になって、みゆきのそういう妙に大人びたところはますます際立っているように思う。ぶしつけで自信家で、外面は良いくせに、どこか他人とは距離を置いている。自分以外のだれかに接しているみゆきを見るたびに、わたしはよくそう思うのだ。わたしの前で見せる我儘なところや自分勝手なところは途端になりを潜めて、みゆきは「良い子」のふりをしてしまうから。

 だからみゆきが素直に甘えてくれるのは嬉しかったりする。今日みたいに具合悪い、だいじょうぶじゃない、みたいな連絡をよこしてくるのは弱音を吐きたいからで、わたしだけに見せてくれる一面だと思えば、優越感を感じたりもするし。……馬鹿みたいだけど、ちゃんと信頼してくれてる感じがしてドキドキしたりもするのだ。だからこそ、そういうときにはみゆきの支えになってあげることを、わたしは昔から心に決めて守っている。
 わたしはロッカーに教科書をしまいこんで、身軽なリュック一つで学校を飛び出して駅へと向かう。電車に乗って向かう先は青道高校。ずっと前に一度練習試合を見に行ったっきりで、一人で行くのは実は今回が初めてだ。不安はあるけれど、みゆきのことが心配だし……。ああ、うだうだ考えていても仕方がない。わたしは途中でコンビニに寄って水と風邪薬とを買って、青道高校への道のりを急いで歩いた。







 青道までは電車で三駅分でそれほど遠くはない。すこし緊張しながら電車を降りて、駅からまっすぐ通じている道を歩いて――――ついにたどり着いた校門前で、わたしははたと立ち止まる。
 グラウンド、いや学生寮はどこだろう、どうやって行けばいいんだろう。というか部外者のわたしが入って良いんだろうか。……分からない。悶々と考えつつも、校門前に立っていると、ちょうど下校時刻を迎えている青道の子たちからの視線が痛かった。とりあえず中に入ってグラウンドを探すことにする。広い。自分がどこにいるのか、あっという間に分からなくなってしまいそうだ。
 道に迷いそうになって慌てていると、ふと目の前に野球部のユニフォームをまとった男の子たちが2人現れた。背が高くって、引き締まった体格の男の子と、それよりは小柄で瞳のキョロキョロとした愛嬌のある男の子。ぱっと見た感じ、きっと同い年くらいだ。年上ではないはず……とりあえず聞いてみよう。わたしは駆け寄って、彼らに横から声をかける。

「あの……。野球部の方ですよね?」
「はい、そうですけど」
「えっと、わたし……みゆき、――御幸一也に会いに来たんですけど」

 そう告げれば、ふたりとも途端に目を丸くして固まった。口を開けたままうろたえて、後ずさる。

「み、御幸一也に!?」
「……御幸先輩に……」

 ふたりは顔を見合わせながら、なにか言いたげに小声で会話しながら、ようやくわたしに向き直った。みゆきに会いに来たことが、そんなに驚くことだっただろうか。それとも私服だから、わざわざ他校から会いに来たみゆきのファンだと思われてるのかもしれない。それはなんだか癪だ。とっても癪。

「わたし、その、みゆきの幼馴染なんです。ファンとかではないです」
「ああっ、なるほど。ファンではなく! 幼馴染!」
「ファンじゃない……」
「はい、だから、みゆきのところまで案内してくれないかなあと思って……」

 ファンじゃないと伝えた途端のふたりの安心したような顔が面白かった。みゆきのやつ、後輩にもそんな風に思われてるなんて、やっぱり嫌われてるんだろうか。可哀想に。
 彼ら――――背の高いほうが降谷くんで、元気印っぽいほうが沢村くん――――は快く案内を引き受けてくれた。道のりでは軽く道案内をしてくれながら、ふたりは口々にみゆきの話をしてくれる。聞けばみゆきは案の上いじわるだと思われているらしい。みゆきの性格悪いエピソードがいくつも出てくるし、幼馴染のわたしでも否定できないものばかりで、ただただ腹を抱えて笑う。
 そしてふとポジションの話になったとき、沢村くんはムッと口を尖らせて「御幸一也は俺の球を受けてくれない」と憤慨していた。どうやら二人はしのぎを削りあっているピッチャー同士で、お互いにみゆきのことを慕っている、らしい。

「幼馴染さんからも言ってやってください! 沢村の球を受けろと!」
「うん、言っておくね」
「僕も。僕ももっと受けて欲しいです、御幸先輩に」

 ……なんだかんだでみゆきは良い先輩をやってるんだと思えば、なんだか新鮮だった。ただ嫌われているっていうわけじゃないみたい。それどころか、キャッチャーとして認められてるというか、尊敬されてる、そういう雰囲気が見て取れて、なんとなくわたしまで誇らしくなった。
 わたしが知らない、部活中のみゆきの一面を見れたようで――ちょっと嬉しいかも。




「着きやした!」

 ふたりが案内してくれたのはグラウンドの入口だった。そういえば、みゆきは風邪を引いて寝込んでいるんじゃないかと聞くのを忘れていたけれど……彼らの様子からすると、みゆきはグラウンドで普通に部活をやっているのかもしれない。もしかして具合悪いのを隠しているのかな。みゆきのことだから、きっとやせ我慢して部活に出ているんじゃないだろうか。
 おそるおそるグラウンドを覗いてみると、ちょうどプレハブの前に部員が整列していた。よく分からないけれど、ちょっとだけピリッとした空気が漂っている。みゆきはその一列目に並んでいて、部長っぽい人が部員たちと向かいあっていた。
 なんか、すごい部活! 野球部!っていう感じがする……まあ当たり前なんだけど。やっぱりこういう雰囲気はちょっとだけ苦手かも。なんて思いながらじいっと視線を送っていると、列に並んでいる部員の誰かがこちらに気づいて、ふと指をさされてしまった。

「あれ、沢村と降谷」

 その途端、一斉に、全員の視線がわたしたちのほうを向く。
 うわっ、やばい――――注目されてしまった。みんなこっち見てる。やばい。沢村くんはとっさに前に立って、制するようなポーズで「待ってください待ってください!」と声を張って、その手をわたしに向けて、やっぱりビックリするほど大きな声で向こうへ叫んだ。

「御幸一也にお客さんです!! ちなみに、ファンではないそうです!!」

 野球部の皆さんがざわざわしている。ものすごい視線を感じる。わたしはただみゆきの様子を見に来ただけで、こんな風に注目を浴びる予定ではなかったのに。
 わたしは居たたまれなくなって、思わず降谷くんの影に隠れた。背の高い彼のうしろにいればすっぽりと隠れることができるのだ。彼の背からちょっとだけ顔を覗かせれば、わたしに気づいたみゆきが変な顔をして、狼狽えているすがたがはっきりと見えた。

「――――!?」

 完全アウェーの状況下に置かれて、みゆきと出会えてすこしだけほっとする。わたしは降谷くんの後ろからみゆきに手を振って、此方へ走って来てくれるまでの数秒間、野球部の皆さんの視線を一身に浴びて、居心地の悪さを持て余していたのだった。
 っていうかみゆき、ユニフォームまで着て部活出る気満々じゃん。死にそうみたいなこと言ってたくせに、むかつく。みゆきのバカ。わたしはまたみゆきに踊らされていたのかと思えば無性に腹が立った。だけど、ちゃんと生きてて良かった、なんて安心している自分もいるのだ。

おさななじみのみゆきくん5 (150921) わたしの負けかも

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