先週、みゆきはうちに来なかった。
 いつもならオフの前日に「行くから」って連絡が来るはずなのに、結局なんの音沙汰もないままその日を迎えた。朝起きてメッセージが来ているかと思ったけれど通知もなし。お昼になっても、夕方になっても電話もメールも来ない。せっかく1日空けておいたのに、わたしの休日はただただ無碍に消費されて終わることになった。
 うちに来ないのかと、催促をするのは寂しがっているみたいで癪だ。いつも遊びに来たい、どっか遊びに行きたいって言うのはみゆきだから、わたしから誘ったことはもしかしたら一度もなかったかもしれない。
 意味もなくメールの履歴を眺めてみる。みゆきがうちに来るときはいつも次の予定まで確認済みで、その日のうちに次のオフを教えてくれるのが常だった。約束というわけでもないけれど、なんとなくそれが当たり前になっていたのだ。輪のようにつながって、また来週、再来週の楽しみが増えていく。それが破られたことが、わたしは思いのほかショックだったみたいだ。

 ……今になってこんな気持ちになるなんて、これぽっちも思ってなかった。幼馴染って微妙な距離感が、たまにもどかしくなることがある。寂しいって言いにくい。会いたいって、言いにくい。なんだか今更な気がしてしまう。いつでも会える関係で、きっと離れない距離にいるからこそ。



「先週? ああ、後輩連れて隣町のバッティングセンター行くことになってさ」

 何食わぬ顔して、次のオフにみゆきはわたしの家にやってきた。正直どんな顔をして会おうかすごく迷ったけれど、インターホンを押して当たり前のように家に入ってきて、わたしより先にお母さんと楽しそうに話している後ろ姿を見てしまえば、わざわざ蒸し返して悲しい顔するのもバカらしく感じられる。
 今更素直になるのは、恥ずかしい。だから素っ気ない態度を取ってしまう。

「ふうん……」
「急に決まったんだよ。シーズン始まって体力持て余してんの、あいつらも」

 ……なんか心臓がちくちくする。胸の奥のほうがざわついている。そうなんだ、と返事をしてみゆきに背を向けた。今日は勉強を教えろって催促もされていないし、みゆきに対してなにも世話を焼く都合がないのだ。
 みゆきはわたしのベッドに腰かけて、その辺に落ちていたクッションを抱きこんでわたしを見ている。無視を決め込んで、わたしは途中だった本棚の整理を再開させた。ちくちくしていたものが、だんだんとイライラに変わっていく。今は顔、見たくない。見たら爆発しちゃいそう。それなのに背中にじいっと注がれるみゆきの視線がじれったくって、思わず唇を噛んだ。
 わたし、なんでこんなに泣きそうになってるんだろう?

「なんだよ、怒ってんの? ちゃん」
「べつに」
「それ、べつにって顔じゃねーだろ」

 みゆきが抱いていたクッションが転がっていくのが見えて、気配を感じた瞬間にはもう、みゆきはわたしの後ろに来ていた。ぺたりと太腿をつけて座っているわたしを抱き寄せて、さっきのクッションの代わりのようにぎゅうと腕を巻きつける。
 この体勢、膝が痛い。無理にうしろにのけ反った身体を支えて、体育座りのように膝を折り曲げて座る。みゆきの膝の間にすっぽりと収まっているのは、ちっぽけな自分を思い知らされているようで少しこそばゆく感じられた。みゆきからはわたしの知らない良い匂いがする。甘くて清潔な香り。重くてがっしりした腕にホールドされて、少しだけ息が苦しい。

「ん……、良い匂いする」

 身じろぎしたわたしの首筋にみゆきの唇がそっと触れる。鼓動が少しだけ早くなったのが、みゆきにも聞こえてしまいそうだ。腕の力が強くなって密着するたびに、わたしの体温がぜんぶみゆきに伝わっているみたいで、なんだか無性に恥ずかしくなった。やだ、やめて、離して。……力ずくでみゆきの手を振り払おうとしたけれど、びくともしない。

「なんで怒ってんの?」

 そういう風に囁くのはずるい。イライラが爆発してしまいそうだ。握りしめた手の平が震える。

「怒ってない」
「先週のこと? もしかして俺と会うの、楽しみにしてくれてたとか」
「……してない。ばか」
「うそつけ」

 じゃあなんで泣いてんだよ。
 ……ぎゅう、と締めつけられる胸が痛かった。千切れちゃいそう。なにこれ。なんでわたし、泣いてるの。意味わかんない。みゆきに、会えなくって寂しかったって言ってるみたいで悔しい。手の甲で涙を拭って、みゆきの身体を押し返す。やめて、離して。見ないでよ。

「ちゃんと連絡しなくてごめんな」
「うるさい……、みゆきのばか」
「うん」
「次やったらもう、うち入れないから」

 じたばたもがくようにみゆきの腕を振り払って、膝を抱え込んでうずくまる。泣いてる顔、見られたくない。ほんとうに今更だ。べつにみゆきに会えなかったのが、寂しかったというわけじゃない。別にはっきり約束してたわけでもないし。ただ先週のわたしはきっと、みゆきに会えるのを期待していたから。
 胸の痛みが我慢しきれなくなって、ついしゃくり上げて泣いてしまった。みゆきは距離をつめて、わたしの手首をつかんで顔を上げさせようとする。力が強くって抗えない。絶対ぶさいくな顔してるから、見られたくないのに。洟をすすりながらほんの少し顔を上げると、みゆきの優しい瞳と視線がかちあって、ふいに息が詰まる心地がした。
 そんな顔されたら胸が苦しくなる。身体中がしびれて、焦げてしまいそうになるよ。

「やべー。俺、すげーうれしいわ」
「なにが……」
「俺に会いたかったって泣くなんてさ、可愛すぎだろ」

 ……もしかしたら全部、はじめからみゆきの計画通りだったのかもしれない。
 わたしがどういう反応するか見るために、先週は放っておかれたのかも。だけど精いっぱいのわたしはそんなことに気づけるはずもなく、腕を広げたみゆきの胸にすっぽりと収まって、おとなしく抱きしめられることしかできなかった。
 みゆきのごつごつした手がわたしの頬に触れて、上を向けばすぐに唇を塞がれる。軽く触れるだけのキスは、涙でしょっぱい味がした。ふたりの呼吸が交じり合う感覚に頭がぼうっとする。なんでこんなに泣いてるのかなんて、わたしにも分からない。みゆきの顔なんか見たくなかったはずなのに、会いたくなかったはずなのに――――こうして触れられるのがどうしようもなく、嬉しいのだ。

「……可愛い、

 唇に吐息が触れて、興奮したその声色に身震いする。みゆきはさらに深くキスをして、わたしの唇をこじ開けて舌を入れてきた。薄く開いた唇を舐めて、もっとひらけと催促をされて、観念して応じればみゆきは嬉しそうに、舌を絡ませてちゅうっと音を立てて吸いついてくる。わたしの口の中をべろべろに舐めて、息もつかないくらいにずうっと唇をくっつけて。
 みゆきとのキスは、気持ちいいけれど、いつもすごく苦しくなる。ただでさえ呼吸がしにくいのに、心臓がドキドキしてさらに胸が狭くなる感覚に溺れそうになるのだ。みゆきのTシャツの肩口を掴んで、苦しいと伝えてみるけれど、みゆきは一向に離してくれそうもなかった。苦しいってば。息ができなくって、ドキドキして、死んでしまいそう。

「っん、みゆき……、」
「わり……、止まんねえわ」

 唇が離れた一瞬、みゆきを押し返そうと力を込めたけれど、かえって床に押し倒されてしまった。
 焦るようなキスを繰り返しながら、背中に触れるフローリングの感触がひやりと冷たくって、身体をよじる。入れ替えるために床に降ろしていた本が、なだれを起こしてドサリと崩れ落ちた。みゆきはたまに謀ったように、強引になるからずるいと思う。わたしの手首を縫いつけるみゆきの手に、ぐっと力が入って、抗いようのないそれにゾクリと背筋が震えた。
 みゆきは男の子で――――わたしのことなんか簡単に征服してしまえるのだ。こうやって、心も、身体もぜんぶ。そう実感するたびに身体は火がついたように熱くなる。
 重たい身体がのしかかってくるけれど、わたしを潰さないようにみゆきは肘をついて抑えている。膝の間を割る太ももとか、わたしを見下ろす熱っぽい視線とか。いつもガツガツしてるくせに、みゆきはちゃんと優しくしてくれることを思いだして、色んなものに身体中を支配されそうになった。

「あ、」

 薄っぺらな部屋着をめくりあげたみゆきの手が肌をすべる。そのまま胸まで上がってきて、ブラの上からやんわりと撫でられる感覚に鳥肌が立った。胸やおなかの、やわらかいところを優しく愛撫されて、思わず無防備な声が出てしまう。
 みゆきに抱きしめられるのは安心するから好き。キスをするのも、気持ちいいから好き。だけど身体を触られるのは、恥ずかしくって死にそうになるから、きらいだ。ちゅっちゅっと音を立ててわたしの首筋に吸いついて、みゆきはくすと笑った。鋭い目でわたしを見下ろす、熱っぽい目。身体の中心をゾクリと走るなにかが、わたしの鼓動を早くさせる。

「気持ちいい声、出してるじゃん」
「……っ、さいあく、みゆき……」
「ん。先週のおわびな」

 なにがおわび、だ。涙の流れたあとをたどるように、耳たぶにべろりと舌を這わせて、みゆきは楽しそうに笑っている。競り上がってくるなにかを堪えて、みゆきを押し返そうとしたけれど手に力が入らなかった。
 怒ってたのに、悲しかったはずなのに。みゆきにキスされて、触られて――――みゆきがわたしのことをその目で見つめるたびに、たまらなく嬉しさを感じてしまう。わたしのこと、好き、かわいい、触りたいって顔に書いてある。みゆきはエッチだし変態だし、こらえ性がなくってどうしようもないけれど、それでもわたしはみゆきのことが、好きだ。恥ずかしいから言ってやらない、けど、本当はこんなにも大好きなのだ。
 頭がぼんやりしている。ごくりと唾を飲みこんで、みゆきを見上げる。やらしい、男の子の顔をしたみゆきは薄っすらと笑って、わたしの唇をちゅっと食んだ。ブラのワイヤーを押し上げて、手の平で胸の先を優しく撫でる。腰がぴくりとのけ反って、声が鼻に抜ける、わたしを見下ろすみゆきの瞳に身体の芯がじわりと熱くなった。

「んっ、みゆ、」
、可愛い」
「……っも、やめ……」

 やめて、の声が掠れて、吐息に変わっていく。みゆきの手、大きくてかたい。わたしの肌のをくすぐるみたいに、撫でられるたびに身体がふるえる。開いた左手をみゆきの首に回せば、みゆきは途端に余裕をなくした顔をして、わたしの首筋に唇を押し当てた。くすぐったい、喉元にべろりとぬるい感触、熱い吐息。ちゅうっと吸い上げられて、鎖骨にあたりに小さく痛みが走る。

「ん、あ……、だめ、みゆき、」
、」
「や……あっ」

 みゆきはわたしの胸の先を指で撫でて、軽く引っ掻いた。びりびり刺激が突き抜けて、身体が跳ねる。変になりそう。恥ずかしい声が出てしまうのを、下唇を噛んで堪える。ああ、もう、やだ。わたしがわたしじゃなくなってしまいそうな、この感覚がとても怖いのだ。
 いつの間にか背中に回っていたみゆきの手が、ぱちとブラのホックを外していた。緩くなって浮かび上がるワイヤーをくぐって、もう一度胸の先をくるくるとなぞる。みゆきはもう息が上がってるみたいだ。耳元に聞こえる呼吸が次第に、わたしの理性を冒してゆく。
 ああ、だめだ――――こんなこと。これ以上はもうできない。恥ずかしさに耐えられなくって、思わず目じりに涙が浮かぶ。

「ねえ、だめ、」
「うそつけ……、だめじゃないくせに」
「うぅ、ばか、やだ……っ」

 みゆきはわたしの右手に自分の指をスルリと絡ませて、そのまま床に縫いつける。いじわるで甘ったるく笑う、みゆきのその瞳に見つめられると、わたしはドキドキして、眩暈さえしてしまう。こぼれた涙にちゅっとキスを落として、みゆきはわたしの名前を呼んだ。優しい、甘い、男の子の声で。

「ぜんぶ俺に任せておけば、大丈夫だから」

 ……ゾクゾクと、恐怖とはちがう高鳴りが身体を突き抜ける。みゆきに触れられている部分が熱くて熱くてたまらなくなった。
 みゆきはいつの間にそんなに、かっこよくなってしまったんだろう。心臓の音がうるさくって、頭の中がみゆきでいっぱいになってしまいそうだ。みゆき、……ねえ、みゆき。はあ、と熱い吐息が漏れた唇を、みゆきはけものみたいに噛みついて、わたしの口の中を舌で掻き回してくる。みゆきの頬に触れて、ぎらぎらした瞳のまんなかを見つめると、喰らいつくされそうな鋭い視線に見下ろされた。

「なあ、」

 ごくり、生唾を飲む音がする。みゆきはわたしのルームパンツに指を引っかけて、ゆっくり下ろそうとした、その瞬間。



ー! ケーキ食べるー? 一也くんの分もあるよー!」



 …………。階段の下から、お母さんの声が響いてくる。



ー、聞いてるー? ケーキあるよー!」



 階段を上ってきそうな足音に、わたしたちは途端に我に返って、慌てて身体を起こした。唾液でべとべとになったくちびるを手の甲で拭って、大きな声で「いま行く!」と返事をする。これで多分、部屋までは来ない。はず。心臓が止まりそうなくらい早鐘を打って、思わずその場にへたりこむ。
 みゆきとわたしはお互い頬を赤くさせたまま向かいあって、しばらく見つめ合ったあと、はあっと脱力のため息をついた。みゆきは「ちくしょう」と項垂れて、頭の後ろを掻く。

「あと一息だったのに……!」
「……ばか」
「はっはっは。まんざらでもなかったくせにさ〜!」

 な、と語尾にハートマークをつけてニヤニヤと覗き込んできた。なんでそういうの、面と向かって言うの。むかつく。だいぶ火照っていた頬が、さらに燃えるように熱くなる。さっきから、恥ずかしいことづくしで、いっぱい泣いてて、なんかもう疲れた。反論する元気も湧いてこない。とりあえず下にケーキを取りに行かないと、色々と怪しまれてしまう。早くしないと……。
 乱れた服を直そうとして、ブラのホックが外れていることを思いだした。わたしは後手にホックをつけるのが苦手なのだ。どうやってつけ直そうかと少し考えて、やっぱり、なんかもう全部が面倒くさくなった。

「ねえ、みゆき直して」
「は!?」
「みゆきが外したんじゃん」

 このままだといつまで経ってもつけ直せないのだから、みゆきにやってもらうしかない。くるりと背中を向けてTシャツを軽くめくりあげる。中途半端にぶらさがったブラを押さえながら、はやく、と催促すればみゆきは見たこともないようなしかめっ面をして、言う通りにつけ直してくれた。
 かっちりと嵌められたブラを整えて、Tシャツを下ろして、今度は襟からブラ紐の撚れを直す。こういうのをみゆきの前でするのは、あまり恥ずかしくない。触られるのはむずがゆくって恥ずかしいけど、下着姿を見られる分にはたいした抵抗はないのだ。やっぱりそういうのも、なんか今更っていう気がするし……。
 それなのにみゆきはいきなり後ろから抱きついて、わたしの肩にがばっと顔をうずめた。はああ、と長いため息が聞こえてくる。

「おまえ鬼かよ……」
「なにが」
「萎えたの一瞬で元気になったわ」

 おなかに回ったみゆきの腕や、背中に感じる体温はあったかくって、さっきのことをぼんやりとフラッシュバックさせた。……あんまり思いだしたくはないけれど。恥ずかしすぎて、みゆきのこと殴っちゃいそう。ぴしりと固まって動けなくなったわたしの身体をぎゅうと抱きしめて、みゆきはまた耳元に唇を押しつけた。耳たぶを舐めるようなキスをして、熱のこもった息を吐く。甘えるように身体を押しつけて、わたしの名前を呼ぶ、甘ったるい猫なで声。

「……あとで続きやらせて」

 もう我慢できないって、マジ。
 耳元で囁かれた声に、思わず肩が震えた。だからそういうの、ずるいんだってば。振り切るようにして、みゆきの身体を押しのける。続き云々に関しては、今日はもう、むり。絶対むり。恥ずかしくて死んじゃう。ケーキ持ってくるから、と半ば強引に言い残して、わたしは勢いよく階段を駆け下りて行った。
 流された……とか、そういうのじゃなくって。わたしは色々なことを自覚してしまった気がする。わたしはみゆきのことが、わりと、いや……けっこう、好きだってこととか。触られると、少し気持ちよくなってしまうこととか。ああ、顔が熱くって、ドキドキが止まらない。自分が自分じゃなくなるみたいなこの感覚は、やっぱりどうしても怖いのだ。

幼馴染のみゆきくん3 (150529) 今日はみゆきの……勝ち

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