太一くんはテスト前の追い込みで、昨日も夜遅くまで勉強していたみたいだ。
 左京さんや紬くんに付きっきりの指導を受けたあとも、部屋に戻って一人でテキストに向かっていたと同室の臣くんが教えてくれた。舞台に出るために、苦手な勉強に必死に向き合っている、太一くんは本当に真面目な努力家だと思う。そのひた向きさを見ているとなんだか応援したくなってしまう。もちろんまだ危なっかしさもあるけれど、その不器用さも含めて、気がつけば彼から目が離せなくなってしまうのだ。舞台で観客を惹きつける天性の素質――アンバランスな魅力は、それによく似ているのかもしれない。


「太一くん、いる?」

 22時過ぎ、今日も太一くんは部屋で勉強していると臣くんが言っていたから、わたしは簡単な夜食を作って部屋まで運んで行った。作った、といってもわたしはおにぎりを握ったくらいで、添え物のサラダは臣くんが夕食のおかずをアレンジしてささっと用意してくれたのだ。美味しいとこどりするのは悪いと言ったのに、臣くんはわたしに太一くんのところまで届ける役目を託して、後片付けを引き受けてくれた。
 臣くんの優しさを背負って、満を持して部屋をノックしてみるけれど反応はなし。電気はついているから、もしかすると寝ているのかもしれない。そっとドアを押し開けてみると案の上、机に突っ伏して眠っている太一くんの姿があった。
 下敷きにしているノートには、書きかけの方程式。途中で眠っちゃったのかな。くうくう、小さな寝息を立てる太一くんは子犬のようで、起こさないようにその寝顔を覗き込んでついつい笑みがこぼれる。

「お疲れさま……、と」

 とりあえず今はこのまま寝かせてあげて、あとで臣くんが部屋に戻ったときに起こすようにお願いしてみよう。食事を乗せたトレーを机に置いて、その辺に落ちていたルーズリーフのはしっこにメモを残しておく。
 『太一くんへ 勉強お疲れさま!テストまであと2日、がんばってね 名前より』 ……こんな感じでいっか。文末には手癖の顔文字を書きこんで、トレーの下にそれを置いてわたしは部屋を後にした。





「あっ――監督先生! 昨日は夜食、ありがとうございましたっ!」

 翌日、太一くんは談話室に顔を出すなり、満面の笑みでわたしの方に駆け寄ってくる。寝不足じゃないかと心配していたけれど、どうやらそんな心配は無用らしい。さすがは男子高校生……若い。ニコニコと笑って昨夜の夜食のお礼を言ってくれる太一くんは、どこか浮かれた様子でモジモジと1枚のルーズリーフを取り出した。

「あと、これ。めっちゃ嬉しかったッス!!」
「あ、メモ残したやつ?」
「はいッス! 俺、こういうの、憧れてたんスよね〜!」

 ……聞けばどうやら、女の子と手紙交換、みたいなものにロマンを感じるのだと太一くんは力説してくれた。意外だ、現代の男子高校生から手紙交換、なんてレトロな単語が出てくるなんて。椋くんの少女漫画にでも影響を受けたんだろうか。ただのメモ程度に書置きしただけなのに、そんなに喜んでくれたなんていうのは、少し予想外だった。

「それに監督先生の字って、意外とかっこいいんですね!」
「男っぽいでしょ。よく言われる」
「いやいや! そういうギャップもまた、魅力的っていうか!」

 太一くんはとにかく、メモのやり取りができたことが嬉しくってたまらないらしい。ルーズリーフを大事そうに両手で持って、わたしの前ではしゃいでいる太一くんはやっぱり犬のようで、ブンブンと振り切れそうに揺れる尻尾のまぼろしさえ見えてきそうだ。無邪気で可愛いなあ。ついつい、そんな風にほほえましさを感じていたわたしを、太一くんはスッと覗きこんでくる。

「……俺、これ見ながら勉強、頑張るッス」
「ふふ。そんな、大げさだよ」
「大げさじゃないッス! 監督先生が俺のために、って思ったら、すっごく嬉しかったんです」

 だからまた、夜食作ってくださいね。俺のために。
 ――太一くんはそれだけ言い残して食卓へ向かった。ああ、少し、びっくりした。瞳をきらきらと揺らして、照れた顔してはにかむその表情に、思わず見惚れてしまった。だって、さすがに、予想外すぎる。色々と。
 不規則に脈打った胸を落ち着けながら、わたしは平静を装って朝の準備へ戻る。もうすぐみんなが順に起きてくる時間帯だ。学校や会社に送り出すあいだはバタバタと忙しいのだ。太一くんもあんな顔をするんだ、なんてぼーっと思い返して、手が止まるたびにはっと首を横に振って堪えた。
 あんなに喜んでくれるなら、今度はきちんと手紙でも書いてみようかな。なんて、少しあからさますぎるだろうか。だけど彼のために何かしてあげたいと、そう思っている自分がたしかにいるのだ。あの輝くような笑顔がもう一度見たいと、そう願っているわたしが。




(170207) ずるい大人のやらないこと




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