浮かない顔してる、というのがなんとなく分かってしまうのは、俺がそれなりに人生経験を積んできたからというだけでなく、監督さんが俺の前では油断して取り繕うのをやめているから、という理由があると思う。
 まあ、二十歳越えて自立し出すとそれなりに悩みもあることだし、若者が多いこの劇団で年が近いだけで親近感みたいなものもあるのだろう。ましてここは貧乏劇団で、その再起を試みている若い総監督となれば、俺たちの想像の及ばない苦労もあるはずだ。安パイな会社で安パイにリーマンやってる俺には分かんないところかなー、なんて冷たいことを思わないわけではないけれど、だからこそ、この距離感を利用してやろうと思ったり、思わなかったりして。

「監督さんもそんな顔するんだね」
「……えっ。そんな顔とは」
「電車に乗ってる残業後の20代OLみたいな顔」
「いや具体的だし、リアルすぎるし!」

 監督さんはようやく笑って、さっきよりは生き生きした顔つきになった。食卓のテーブルで睨めっこしていた家計簿をパタッと閉じて、俺が座るソファのとなりにやってきて、勢いよく腰かける。底抜けそう、とからかえば間髪入れずに「うるさい」と返された。やっぱり、珍しくちょっとイライラしてるみたいだ。

「資金繰りきびしいの?」
「……まあね。雑費がかさんじゃって」
「ふうん。でも、それだけじゃなさそーだね」

 残業後の云々、っていうのはあながち冗談じゃなくって、監督さんはくたくたに疲れた顔をしている。俺はスマホを閉じて、クッションを抱きこんで唇を尖らせている監督さんの顔を覗きこんでみた。ああほら、いつもより表情が暗い。どうしたの、とその頬にかかる髪を梳きながら聞いてみると、監督さんは弾かれたようにバッと立ち上がって、クッションを床に投げ捨てた。わお、びびった。

「なんかむしゃくしゃするの!! あーもうって感じ!」
「はは。ストレス溜まってんじゃない?」
「そうなのかな〜、はあ〜」

 監督さんはうんと伸びをして、髪をくしゃくしゃにかき混ぜた。いつになく子どもっぽい仕草というか、わがままな素振りが見れたのがなんだか嬉しくって、ついニヤニヤと口角が持ち上がる。監督さんがこうやって素直になるのは、限られた相手の前だけだ。その中に俺が含まれているというのが、俺にはやたら嬉しいのだ。そりゃあもう、イベ中のゲームが一瞬どうでもよくなってしまうくらいには。
 いつもはみんなの監督さんを、こんなときくらい一人占めしたいと思ってもよくない?

「監督さん、おいで」
「……え? なに、その手?」
「ハグ。ストレス解消にどう?」

 一日一回ハグするだけでストレスの蓄積量が激減する、とかなんとか、どっかで聞きかじった適当な情報をそれっぽく話せば、監督さんはあっさりと信じて、「そうなんだ」と納得したようだった。変なとこで単純だな。でもまあ、いいチャンスかも。

「今ならたるちのここ、空いてますよ」
「あはは! じゃあ、一瞬だけ!」

 キタコレ、と思った瞬間には監督さんは俺の首に腕を回して、ぴょんと飛び込んできた。まじか、やば、こんなに上手いこと行くとは。冗談半分だったのに、監督さんがここまで乗っかってきてくれるなんて思わなかった。……って、自分から誘っておいて照れてるとか俺、マジでかっこわるい。
 ドキドキと跳ね始めた心臓の音が聞こえないように、平気なふりをして監督さんの背中に手を回す。よしよし、とあやすように撫でてやれば、監督さんは笑った。背中ちいさいなあ、良い匂いもするし、監督さんは凛々しく見えるけど実はちゃんと女の子なんだな、ってやっぱり俺の方が困惑させられる。
 もう少しだけこうしていたい。と、欲を出してもう少し強く抱きしめようかと思った途端に、監督さんはぱっと離れていってしまった。あーあ……なんか残念。

「うん。ほんとに、ストレス解消になったかも!」
「なら良かった。でも、他の奴にはするなよ」

 って、言ってから後悔した。なに今の俺、彼氏面? これ恥ずかしいやつじゃね? だけどさらっと、本当に無意識のうちに、口をついて出て行ってしまったのだからどうしようもない。監督さんはどんな反応するだろうかと少しドキドキしながら、俺はできるだけ平静を装って、あくまでもからかってるように、じゃれてるように、監督さんに見破られてしまわないように努めて笑った。

「当たり前じゃん」

 ……あー、はい。そういうこと言うのね。はいはい。俺乙。耐えきれずにうつむいた俺を見て、今度は監督さんの方が余裕っぽく振る舞っている。くそ、なんか悔しい。監督さんって鈍感なくせに、妙に男前なところあって困るんだよなあ。

「自分から言っといて、なに照れてるんですか。至さん」
「うるさいよ」

 うん、俺の負けでいいよ、もう。
 俺は悔しくって半分やけになって、監督さんの腕をぐっと引っ張って、強引に抱きしめた。今の俺、頬が赤くなってそうだから見ないで欲しい。――なんて教えてあげるつもりはないけれど、監督さんの方が耳まで赤くなっているのを確かめて、俺は堪えきれずにほくそ笑む。ああ、待ちに待ったゲームクリアの兆しだ。好きだよと、素直な言葉を伝えるラストミッションを達成するまで、あと5秒。




(170207) 泣いてない子の慰め方




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