「おまえはほんまに馬鹿じゃ」

 そんなこと、仁王くんに言われなくても充分すぎるくらいわかってる。わたしは勉強も運動もいまいち出来ないし、顔とか性格だって特にいいわけでもないし、パーフェクトな仁王くん(あ、でも性格がわるい)に適うことなんかひとつもないですよ。背だってこんなちんちくりんだし、真田くんにはタナカさんみたいにすらっとしてる子の方がいいっていうのにも、ずうっと前から気づいてます。

「わたしが一番わかってるってば」
「ほお、ほんまか? ……あ、タナカさんと真田じゃ。相変わらずお似合いじゃのう」

 長くてきれいな黒髪とほそながい手足をもったタナカさん。頭も良いし、確か剣道をやってて、スポーツだって飛びぬけて上手かった。おまけに、わたしが転んだときにはばんそうこうだってくれたし。女のわたしも憧れちゃうくらいに、すてきな人だ。その才能ちょっとだけわけてほしい。(そしたら真田くんが、わたしのことを見てくれるかもしれないのに!)

「仁王くんっていじわるだよね」
「今ごろ気づいたんか、

 くくっと唇のはしっこをもちあげて仁王くんは笑った。仁王くんってなんか、存在が不思議だ。近づいたらそのまま食べられたりしそう。実は妖怪かなんかなんじゃない? 仁王くんはあんまり表情を変えないから、なにを考えてるのかが全然わかんないよ。でも怖い、とはちょっと違うけど。いじわるなことばかり言うのに、あんまり嬉しそうに笑わないのは、なんで?

「なんで仁王くんは、そんなにわたしに突っかかってくるの」
「失恋に苦しむお前さんをわざわざ励ましに来とるっちゅうんに。つれないのう」
「そんな人はふつう追い討ちかけたりしないし。お似合い、とか言って」
「――――なら俺が、ひとついいこと教えちゃる」

 なによう、と思わず一歩下がったら、仁王くんがまたやらしく笑うから、なんだかへんな感じがした。こうやって見ると仁王くんと真田くんってぜんぜん違う。見た感じも、性格も、考え方も、きっと180度くらいちがう方向を向いてる。

「失恋の痛手にはなにがいちばん効くか。知っとるか?」
「……しらない。なにそれ」
「それはな、」

 仁王くんの唇が、わたしのおでこに触れた。わたしはびっくりして何も言えなかった。近づいた仁王くんからは、甘くて苦いかおりがした。なんていう香水なのかなんて検討もつかなかったけど、いやな匂いじゃ、なかった。また胸にわけのわからない感じ。だって真田くんは、香水なんてつけるひとじゃないから。

「…………新しい恋が一番じゃ」


 いじわるで性格が悪いくせにかっこいい、妖怪みたいな仁王くん。やっぱり真田くんとは大違いだ!


香水/センチメンタルヒーロー






























 背中に羽根でもついたのかと思うくらい足取りが軽かった。
 夕日は俺に羽根がないことを影で教えたが、そんなことはどうだってよかった。
 動脈がどくどく言うたびに口元がゆるんで、口角が上がってしまう。きもちわるい、俺。
「あっ、仁王おまえおせーぞ!」
「仁王センパイ!もう部活始まってますよー!」
 テニスコートに顔を出してみると、案の定部活が始まっていた。
 これから部活だなんて少しばからしい。足元が浮かれすぎてるし、なにせ俺はいま無敵なのだ。
 赤也とブン太が俺の方へ駆け寄る。ガシャ、とフェンスが鳴る。
「あれ、真田がおらん」
「真田副ブチョーなら委員会っスよ!なんか用だったんスか?」
「……いや。別に、」
 ジャッカルが俺に、休むのか、と訊く。俺は右手を上げてそれを肯定する。
「何か良い事でもあったのか。顔が赤いぞ、仁王」
 まあ、と曖昧に答えておいたけど、たぶん参謀にはバレてしまってるだろう。
 胸が痛くて、今日は眠れないかもしれない。俺はそれでもよかった。




羽根/センチメンタルヒーロー

































 この前なんであんなことしたの。
 そうやって聞くのは、なんだか怖かった。もしかしたら、仁王くんにとってはなんの意味もないことだったのかもしれないし。仁王くんは女の子慣れしてそうだし、十分ありえる。それをネタにまたからかわれるのも嫌だし、でも、なんていうか、うーん。
「なーに悩んでんだよ!おまえ」
「……うん、まあ、ちょっと」
 わかった真田のことだろ、ってブン太がニヤニヤする。ブン太はわたしの気もちを知って、仁王くんみたいにおどろいた顔したけど、いちおう応援してくれる。ブン太はいいヤツ!
「ちがうよ、仁王くんのこと」
「はっ、仁王?なんでだよ」
 ことのいきさつを全部説明すると、ブン太は心底おどろいた顔をした。わたしが真田くんをすきだって言ったときよりは、びっくりしてないみたいだったけど。(それもなんで?)
 そしてふと、考える仕草をする。ええ、なに。
「そういえば昨日の仁王、なんか変だったんだよなあ」
「へ、変って、どんな風に」
「珍しくテンション高めだった」
「テンション高い仁王くんって……見たことないかも」
「だろ? めっちゃニヤけてたから、何かあったんだろーなとは思ってたけど」
「ニヤけてた?」
 ブン太は、さもおかしそうにうなづく。ニヤけてた、って……なに。なにそれ。
 でも仁王くんがなにを考えてるかわからないっていうのは、今にはじまったことじゃない。だって妖怪仁王くんだし。
「んだよ、もっとすげえことしたのかと思ってたら、デコにチューしただけかよ」
 期待して損した、だって! 人が真剣になやんでるっていうのに。
 ……でもたしかに、仁王ってなんかもっとすごいことしてそうだしなぁ。あ、失礼か。

「案外仁王のやつ、お前に本気かもよ」
「まさか。からかわれてるだけだよ」
たぶん、と付け足したら、急に胸がいたくなった。




意識/センチメンタルヒーロー


























 廊下で真田くんとタナカさんが話してるのを見た。
 タナカさんは美人だったし、真田くんもやっぱりかっこよかった。仲良さそうに話すふたりを見ても、あんまり苦しくならなかった。その理由は、わたしにもよくわからない。もしかしたらあのときの気持ちを、わたしはどこかに置いてきてしまったのかもしれなかった。


(なんで、だろう)(だってあんなに)




かすむ/センチメンタルヒーロー





























 仁王くん、と声をかけたら、寝起き全開の顔でわたしをじっと見た。仁王くんって妖怪なのに眠るんだ!
「…………?」
「こんなところで寝てたんだ」
「んんー」
 まぶしいのか、仁王くんは億劫そうなかおで目を細める。屋上の床なんかにねころがって、背中が痛くないのかな。
「わたしさっき真田くんとすれ違ったんだけど」
「…………」
「なんとも思わなかった。……って、言ったら、変かもしれないけど」

「タナカさんの横で笑ってる真田くんが、一番かっこいいなって思ったよ」
「……ほお?」
 仁王くんは鼻で笑ったかと思ったら、笑いが止まんないみたいで、普通におなかを抱えて笑い出した。
 し、真剣に聞いてよ、わたしは真面目に話してるんですけど!
「なんで笑うの!」
 だって、と仁王くんが喋ろうとするけど、笑えてうまくしゃべれてない。そんなにおもしろいことだったかなあ。仁王くんが言いたいことはなんとなく、分かるけど。
「お前もタナカも、あんな堅物の何処がええんじゃ」
 ああほら、やっぱり、そう言った。


「あんな堅物が好きなお前を、好きな俺も、おかしいんじゃろうか」
 空が絵の具みたいに青かった。でもわたしは何て言えばいいかわからなくて、黙っていた。
 仁王くんが嬉しそうに笑わない理由を知ってしまった。
「…………ほんと、おかしいのう」
 仁王くんは自嘲するみたいに、いつものように薄っぺらく笑う。

まぶしい空。真っ黒なカラスがよく映える。わたしと仁王くんの気もちが、あの白い雲にめぐる。

「仁王くん」
「……なんじゃ」
「妖怪とかって思ったりしてごめんね」

 仁王くんの言っていたことは、もしかしたら本当なのかもしれない。
 知らなかった香水の匂いだって、いつの間にか、わたしの知ってるものになってしまっていたのだから。


青空/センチメンタルヒーロー(090316)























 一体どういうかたちの関係なら良かったのだろう。これ以上の出会い方も触れ方も俺には分からない。ただ求めることしか出来ないのは幼くて、本当に愚かなことなのだろうか。手を伸ばさずに失う方がよっぽど馬鹿なことなのに。何も出来ず黙って指をくわえて見ているくらいなら、出会うこともないまま過ぎていったほうがまだましだった。
 俺はさんを知ってしまって、その唇の柔らかさや甘ったるさとか、囁く声が可愛いのとか、大人びた視線が優しくて心地いいのだとかを、もう手放すのが惜しくなるくらいに味わってしまった。後戻りはできない。逃してしまいたくないと、何度も繰り返すのは、かえってさんを本当に手に入れられることはないのだと諦めている証明のようにもなるけれど。
 さんの全ては俺の物じゃない。確かに此処にあるのに、俺の物じゃないのだ。



 さんに勉強を見てもらうのをお願いしたのは、俺が部活を引退して進路が明確になった6月の末だった。薬学部があって、テニス部もそれなりに実績のある県外の大学。理系の科目ならわりと行けるけど、国語の成績が伸び悩んでいたときに偶然家に遊びに来ていたのが姉さんの大学の友達のさんだった。国語なら得意だから見てあげようか、なんて、さんの優しさに甘えたのが最初のはじまりだ。
 姉とは仲が良いらしいが、男勝りな姉よりもよっぽど落ち着いて女性らしく、柔らかい雰囲気が印象的だった。ナチュラルなメイクも、清潔そうな服装も香りも、全部が俺の好みだった。そもそも勉強を見てもらう約束を取り付けたときに、下心が全く無かったと言ったら嘘になる。姉の友達で、3つも年上でもう成人もしている立派な大人で、俺みたいな子供は相手にされないということも内心では分かってた。
 けれどさんは、思ったよりずっと親し気で、気さくで、俺を子供扱いすることもしないで、真正面から向き合ってくれた。俺のほうがずっと狡猾で卑怯だ。どういう風に見つめたら女の人が照れるのかとか、何を言えばドキドキしてくれるのかとか、そういうのを扱うのに俺には十分な知識があった。3つ年上の女性が相手でもそれは変わらなかった。指先が触れても近くで見つめても、さんが戸惑ったり照れたりするのが分かったから、ああ、こういう風にしたら、さんに近づいて、心の中に入っていけるのだと、悲しい真実に気がついてしまったのだ。
 寂しさなんかを持て余してる女の人なんていうのは、甘やかしい誘いや何かを紛らわせてくれる熱情に、簡単に揺れてくれる。たとえ手に入らなかったとしても、今この時に、さんの隣にいるということが、俺にとっては重要だった。ガキっぽくて、随分と即物的に聞こえるけれど、今はそれしかないと思ったのだ。さんに触れるには。



「ゼミの研究発表、もうすぐでさ。パワポ作らなきゃなの」
「ふうん。大変やなあ、大学生も」
 俺が問題を解いている間、マックブックを取り出したさんは真剣な面持ちで何かを打ち込み始めた。現文の論文を読んでいる間、タイピングの音だけが響いているのも特に気に障らなかったのは、さんが俺の部屋にいることが相当馴染んでいて、ただそれだけで安心するような居心地の良さを感じていたからだろうか。大問1を解き終わるまでの20分間、俺たちは特に会話も交わさずただ黙っていた。そういうのに、優越感のような感覚が沸いてくる。ちらりとさんを見やると、真面目な顔して画面と向き合ってるのが可愛らしいなと思った。さんは俺にこういう、庇護欲みたいなものを感じさせるくせに、手を伸ばせば大人の対応でさらりと交わしてしまう、完成された透明感があるのがずるい。
「……終わった」
「お、早いね。答え合わせしよっか」
 論文の読解が苦手だから、最近はずっと大問1ばかり解いている。そのたびにさんも同じ文章を読んで思考を共有して、同じ目線を探して問いの答えを探してくれる。合わせられてる。そういう感覚は、新鮮だ。俺の目線を探すなんて、今まで誰にもされたことがなかったから。
「問2、惜しいね。3つ目の段落の最後の文章の、言い変えになってるんだよ」
 どうして読み解けないのか、どうして意味を汲み取れないのか、俺の目線を探すさんは俺よりよっぽど正確な感覚を持っていて、鋭く冴えたまなざしを持っている、感じがした。身震いするほど、欲しくなる。俺を見破ろうとするそのまなざしで、暴きたいと願う俺の欲望ぜんぶを見透かされてしまうんじゃないかって、怖くなって、愛しくなる。
 じっと、目の前で瞬きを重ねる瞳を見つめた。視線に気づいたさんはぱっと笑って、なあにと問いかける。その、甘くつややかなくちびるを、塞いでしまいたいと、燃え上がる鼓動を感じた。



さんは、鋭くて、勘もめっちゃええやろ。でも気づかないふりしてくれるくらい、優しくて理性的で、大人や」
 何がまともで、何がまともじゃないのか、というのは俺には難しい問いだった。少し言い変えられたら気づけないほど繊細で曖昧ななりをしていて、さんはいつも巧妙に本音を隠してしまうから。ほんまは全部見透かしてんねやろ。俺が何を考えてるかも、どうしたいと思っているかも、鋭いさんには全部見透かされてるって、分かる。
さんから見たら俺はどんなかな」
「……蔵ノ介くんは真面目で、頭も良くて、冷静な男の子だよ」
「それもほんまの俺かもしれへん。けど、そんなの、半分や。半分」
 俺のもう半分はもっと子供っぽくて、感情的で、どうやってあんたのこと手に入れようか、ってことばっかり考えてるよ。
 問題集を閉じたら、もう全部どうでもよくなった。さんのパソコンを取りあげて床に置いて、身を乗り出すとさんは困ったように身じろぎしながら、それでも俺の手が触れるのを拒まずに受け入れてくれる。それがたまらなく嬉しかった。さんの柔らかい肌に触れるとき、俺は自分がずっと喉の渇きを我慢してきたのだといつも実感する。
 さんは俺の力で簡単に押し倒してしまえるくらい小さくて、俺はやっぱり庇護欲みたいなものがじわりと沸いてきて、守ってあげたいとか愛したいとか、抱きしめたいとか、そういうことばかり考えてしまうのだ。たとえこの身体が俺でなく、誰か別の男に支配されているのだとしても、それでも今だけは、此処にいる間だけは、さんは俺だけの物になってくれるから。

「俺も狡くて我儘やし、自分でも性格良いとは思わんけど、さんのこと幸せにしてやりたいって思っとるよ」
 幸せにしてくれない男に縋るのは止めえや。俺みたいな年下に言われたって、何の説得力もないかもしれへんけど、俺が欲しいんは、たださんだけやから。
「蔵ノ介くんて、狡いのか、まっすぐなのか、分かんないね」
「どっちでもええ。さんの為なら、俺は何にだってなるよ」
 天使にも、悪魔にも、何だってなれる。このちっぽけな身体が手に入るなら何だってする。その鋭いまなざしで、俺のこと全部見透かして、裸にして、何も取り繕えないくらい、叫ばせて。身震いするほど、欲しがらせて。さんが悦ぶ顔が見たい。欲しい言葉も、温もりも愛情も、全部俺があげるから、全部を捨てて此処においでよ。

さんが好きやから」
 俺をこんなに狡くさせたのは、あんたや。




そう思った瞬間から砂漠が楽園になるんだよ (140917)




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