「なーにやってんだよっ」
 眠たい昼下がり、中央塔のベランダ。聞き覚えのある声がしたかと思えば、いきなりおしりを叩かれて、急いで振り帰るとそこにいたのはやっぱりシャルルカン! わたしは挑戦的なその目をキッとにらみつけて、もう遅いけど両手でおしりを隠す。
「なにするの、シャルルカン!」
「別に。触りたくなる尻してたから」
 まったく、シャルルカンはいつもこうだ! わたしが怒っても、何にも効果ないとでも言うようにけらけら笑って受け流してしまう。シャルルカンは気配を消すのが上手だし、気がつけばいつもこうやって近づいてくる。しかも背が高いから、隣に立たれるとなんだか見下ろされてるみたいで心臓がどきどきしてしまって、なんとなく居心地がわるいのだ。わたしが拗ねて目をそらすと、それに気づいたシャルルカンはぷっと吹き出して、わたしのあごをつんつんとつついて来る。
「何だよ、怒ったのか?」
「あ、当たり前でしょ!」
「いいじゃねーか、減るもんじゃねーし」
 減る、何かが減るの! シャルルカンに触られないように、後ろに一歩飛びのくと、「悪い悪い」と言ってシャルルカンはベランダから外を覗き込んだ。下のほうに見えるのは、特訓中のマスルールとモルジアナの姿だ。ふたりはさっきから、わたしの目には到底追いつかないスピードで拳を応酬しては、すさまじい体術の修行をつづけている。
「おーおー。恐ろしいねえ、ファナリスは」
 なんて笑っているシャルルカンだって、剣を構えているときは、びっくりするくらい真剣なまなざしをするのだ。ただのスケベな剣士なわけじゃないっていうのが、シャルルカンのずるいところだとわたしは思う。剣を持っているときのシャルルカンは、別人みたいで、すごくかっこいい。悔しいから素直に褒めてなんてあげないけれど、わたしだって本当はそう思ってる。
「わたしも戦えたらなあ」
 ぽつりと洩らしてしまった本音に、ふっと優しく目を細めたシャルルカンは、その手を伸ばしてわたしの頭をがしがし撫でてきた。もう、髪がぐしゃぐしゃになっちゃう! シャルルカンの大きな手を退けようとすると、なぜか逆に手をつかまれて、まったく油断していたわたしは、腕を引っ張られてそのまま、シャルルカンに抱きしめられるような体勢になってしまった。ちょ、ちょっと、シャルルカン? 一体なにを――――、
「こんな簡単につかまっちまうようじゃ、すぐやられちまうな」
 わたしが抵抗も何も出来ないうちに、頬にくちびるの感触。シャルルカンがわたしの体を離すころにはもう、わたしは目の前がまっしろで、シャルルカンの太陽みたいな笑顔を、呆然と見上げることしか出来なくなっていた。




獲物は逃がさない(130302)























「シンドバッド様ってもう25歳なの?」
 机に向かってお仕事をしながら、そうだよ、と王様は優しく答えてくれる。本当にいつも紳士的で、落ち着いた素敵なひと。お酒を飲むと大変なことになるらしいけど、私はまだそんな王様を見たことがないからよく分からない。
「どうして結婚しないの? もうおじさんになっちゃうよ」
「うーん……どうして、と言われても困ってしまうな」
 王様がふと筆を止めたから、見計らって近寄ると、やっぱり王様はにこっと微笑んで、私を膝の上に乗せてくれる。お仕事の邪魔だけはしないように、私もちゃんとタイミングを計っているのだ。王様の首にぎゅっと抱きつくと、あやすみたいに背中をぽんと擦られる。もう、王様ったら、いつまで経っても私を子ども扱いなんだから。
「相手がいないなら、私が結婚してあげるよ」
「はは、が? それはうれしいなあ」
「本気よ? 私、シンドバッド様のこと大好きなんだから」
 駆け引きをするような、そのクールな瞳が大好きなの。人の内面を見透かしてくような目。私はまだ子どもかもしれないけれど、ちゃんと一人前に人のことを愛したりだって出来るのよ。ちゃんと分かってくれてる?
「そうか。じゃあ私たちは想い合っているんだね」
 っていうことは、王様も私のことを大好きってこと? うれしい! 笑顔を隠し切れない私は、王様のほっぺにちゅっとキスをする。すると王様も私のほっぺにキスをし返してくれる。目を合わせて笑って、胸がほんのりと熱くなって、王様のことが好きっていう気持ちで、私のすべてがいっぱいになる。
「絶対絶対、私と結婚してね? シンドバッド様!」
「ああ。ジャーファルにも伝えておかなければならないな」
 私の結婚相手はもう決まっている、とね。そう言って、王様は私の手の甲にくちづけを落としてくれる。やっぱり、シンドバッド様はとっても素敵な人だわ。私が結婚できる年になったらすぐに結婚式をあげなくちゃ。あと5年もしたら私も15歳になって、きっと今より背だって伸びて、胸だって大きくなって、立派な女の人になれてると思うの。だからもう少しだけ待っててね、王様。他の女の人と仲良くなんかしたら、いやだからね!


「ジャーファル、俺にはどうやらという素敵な婚約者がいるようなんだ」
「はあ? 何を言っているんですか。はまだ子どもですよ」
「分かってるよ。でも、可愛いだろ? 俺のことを本気で好きだと言ってくれるんだよ」
「はあ……(大丈夫なのか、シンは……)」




純粋な恋よ(130302)























 マハラガーンの宴も酣に、空になった葡萄酒の樽がそこかしこで山積みになっている。夜も更けはじめ、酔った大人たちはここからさらにもう一騒ぎするのだろう。王の傍には煌びやかな女性があまた侍り、その手前では酔ったヤムライハが情感いっぱいにピスティに何かを語っている。一段と陽気になったシャルルカンは注がれた葡萄酒を一気にあおって、マスルールは相変わらずの無表情で黙々と酒を飲んでいる。人に溢れかえった広場から少し離れた場所に涼みに行くと、そこだけ夢から覚めた現実のように静まり返っていた。
「あら、スパルトス? どこへ行くの」
 後ろから私についてきたのは文官のだ。剣技にも長けていると聞くは、そのすらりとした体躯によく似合う薄いドレスをまとっている。右手には果実酒の浮かぶグラス。ほんのり赤らんだ頬でにっこりと笑って、海に面したテラスに寄りかかると大きく息を吐いた。
「なんだか人に酔っちゃった」
「酒にも酔っているように見えるが、
「そうね。スパルトスは、あまり飲んでいないみたい」
 ふふ、とグラスを傾けるは年の割りに大人びているが、たまにこうやってあどけない表情を見せる。執務に向かっているときも、宴の席ではしゃいでいるときも、の笑顔はいつも花のようにぱっと周りを明るくさせる。だからだろうか、私は元来女性の目を見つめるのが苦手だが、に対してはとりわけて、いっそうそれが顕著になってしまう気がするのだ。
「たまには羽目をはずしたスパルトスも見てみたいわ」
「私はあまり酒に酔わないからな。シャルルカンのようにはならないぞ」
 振り返ると、部下と飲み比べをしているシャルルカンが見えて、は声をあげて笑った。シャルルカンは酔うといっそうテンションが高くなり、王ほどではないが女性に甘ったるくなる。それを示唆したのがうまく伝わってくれたらしい。ひとしきり笑って、酒も相まって笑い疲れた様子のが何となしに私の肩に頭を寄せてくる。胸の辺りが何となくこそばゆいが、それを押しのけたりする気など、私には微塵も沸いてこない。
「やっぱりあなたといると落ち着く」
「……?」
「あのねスパルトス。私は酔うと、好きな人の傍にいたくなるの」
 だるそうに瞳を閉じるの呼吸は少し早い。は酔うと素直になるのだと、いつかピスティが言っていたような気がする。定かではないし、もしかしたらそれは、私のただの願望であるのかもしれない。鼓動が高鳴るのを、自分でもうまく表現できないのがもどかしかった。けれど、もしもが他の男に同じことをしていたのなら、私は嫉妬に焼け焦がれてしまうのだと思う。
「ねえ、私、此処にいてもいいかしら?」
 一番避けていたいはずなのに、永遠に見つめていたくなる美しい瞳。――――ああ、この気持ちこそが、もしかして?




口説かれる夜(130303)























 思えば私はいつも我慢をしているような気がする。別に無理やり自分を押し込めているわけではない。ただの癖なのだ。我慢をして、自分の意思を飲み込む。それに大変な努力がいるわけでもないあたり、もしかしたら私はとんでもないマゾヒストなのではないかとたまに心配になる。けれど苦ではないのだから、我慢できるうちは我慢をしていようと、思っていた、けれど。
……嫌ですか?」
 その真っ赤な頬を指先で撫でると、はくすぐったそうに目を伏せた。否定も肯定も言えない唇はきゅっと結ばれて、私の言葉に必死に応えようとする様子を見せる。そんな顔もひどく可愛い。口の端が勝手に持ち上がるけれど、我慢、という二文字が私の頭の中をぐるぐる回る。
「嫌……というわけじゃ」
 長いの髪の一束に口づけをする。近い距離に戸惑っているのか、はどんどん顔を背けてしまう。いつもと違うということをはっきりと感じ取っているからかもしれない。は人の変化や気持ちにとても敏感だ。ただの文官にしておくのが、惜しいと感じてしまうくらいに。
「こっちを見て……
 目を見つめると見透かされてしまう気がする、といつか言っていたのを思い出した。けれどそれはが感情のすべてをそのまま表情に出しているせいだと私は思う。そんなところも愛しいけれど、本当はたまに、少しだけ憎らしくなる。それは私じゃなくてもきっと分かるのだろうから、何も特別なことではないのだ。だから私だけが知るの顔や声というものが、必ずあるのだということを、どうか教えて欲しい。この指先もまつげの先も、皆のものなんかではなくて、私ひとりのためだけに在るのだと、どうか。
「…………!」
 その瞳に吸い込まれるがまま、夢中で奪っていたの唇から、ため息のような甘い吐息がもれる。離れるたびに深くなっていくそれに、逃げそうになるの背を抱きしめて、角度を変えて何度も何度もキスをする。私の服を細い手がきゅっとつかむ。酸素をほしがる荒い呼吸。から伝わる小さな熱に、理性の杭がゆっくりと引き抜かれていくのを感じる。
「ジャーファルさんっ、やっぱり、わたし」
 いつもならこの枷が外れる前にやめていた。今だって別に我慢が出来ないわけじゃない。ただ、の真っ赤な顔をもっと長く見ていたいだけだ。誰よりも一番近いところで、見つめて、触れて、感じたいと、そう貪欲に求めている自分がいる。今まで我慢していたぶんを補うには少し足りないけれど、のすべてが私のものになるというのなら、それだけで私の何もかもが報われてくれるような気がしているのだ。
「もう、駄目です。聞けません」
 たまには君を、この腕の中に独占したいと思ったっていいでしょう?




たまには強引に(130304)























 一にも二にも、三にも四にも仕事を取る男・ジャーファルの恋人である、可憐な女官。貞淑で控えめでわがままなど口に出しようもない未必の乙女であるが、近頃その瞳が憂いを帯びていることに私は気がついていた。おそらく仕事人間ジャーファルが彼女をほったらかしにでもし、なかなか会えずにいるのだろう。こんなにも可愛らしい女性に寂しい思いをさせるだなんて、ジャーファルもなかなか罪な男だ。隅に置けない。
「浮かない顔をしているね」
「……! 王様」
 渡り廊下から夕焼けを見つめていたに声をかけると、彼女は驚いた顔で私を見上げ、すぐにお辞儀をした。本当に礼儀正しく、上品な娘だ。ハーフアップにされた栗色の髪は夕日に照らし出され、彼女の美しさをより儚げに魅せている。
「そう畏まらなくていい。今は仕事中じゃないからね」
 の隣に並んで、共に落ちてゆく日を見つめる。私の言葉に少し緊張はほどけたようだが、その表情はまだ固く、やはり沈んでいるように見える。こんなところで黄昏れるだなんて、まるで可愛い少女のようだ。ジャーファルには悪いけれど、年の割りに幼げなのかんばせに浮かぶその切ない表情には、男心をひどくくすぐられてしまう。
「君にそんな顔をさせるだなんて、ジャーファルも憎い男だ」
「え……?」
「あいつに時間をやりたいところだが……そうもいかなくてね」
 すまない、と言うとは目を見開いて、勢いよく首を横に振った。そしてフルートの旋律のように細くきれいな声で、私は平気ですから、と微笑んでみせる。それが強がりであることくらい、すぐに分かった。けれどそのように健気なしぐさを見せつけられては、私は何にも言えなくなってしまう。
「その代わり、と言ってはなんだけれど、今夜私と食事でもどうかな」
「お、王様……!? わたしとですか?」
「ああ。もし君が招待されてくれるのなら、ジャーファルを連れて行くことを約束しよう」
 休みを与えても、ジャーファルはきっと素直に受け取りはしないだろう。私のたくらみに気がついたは、瞬きをする瞳にうっすらと涙を見せる。ああ、やはり寂しさに耐えかねているのだろう。強くなりきれない彼女の弱さが可愛らしくて、ついその白い頬に指で触れてしまう。髪がさらりと指にかかる。身をすくめてまぶたを閉じるの、きゅっと結ばれる淡い色のくちびる。
「……ジャーファルに悪気はないんだ。君もよく知っていると思うが、一辺倒な男でね」
「はい。けれど、王様にまでお気遣いをさせてしまうなんて……」
「構わないよ。ジャーファルには、本当に世話になっているから」
 ようやく表情をほころばせたの、華のような微笑に、なぜか胸が締め付けられる。ジャーファルを想うその真摯な心に、中てられてしまったのかもしれない。の細い輪郭から離れていく指先が、名残惜しくてふいに目を瞑る。




どうしてくれよう(130303)























 シャルルカンが起きてこないということで、どういうわけかこのわたしが様子を見に遣わされた。死んでいたら困ると誰かが言っていたけれど、どうせお酒の飲みすぎでただ寝潰れているだけに決まってる。まったくすぐ酔っ払うくせに、どうしようもない酒好きなんだから! わたしはちょっとだけいらいらしながら、部屋の鍵をこじあけてもらって、シャルルカンが寝こけているであろうベッドのほうへと突き進む。
「シャル! いい加減に起きなさい、もうお昼よ!」
「んん……あー? だれ……」
! 起こしに来てあげたの」
 うつ伏せで寝転がっているシャルルカンを覆う、ぐっちゃぐちゃの毛布をはぐろうと、身を乗り出してからぎょっとした。エリオハプトの綺麗な褐色の肌が、存分にベッドに投げ出されているのだ。ひょっとしてシャルルカン、裸なの? とっさに手を離して後ずさろうとすると、すかさず腕を捕まえられて、見計らったように目を開けたシャルルカンが憎たらしく口角をあげて笑う。
「なんだよ……起こしにきたんじゃねーのか?」
 寝起きの気だるそうな瞳で見上げられて、わたしはぐっと息を呑む。こういうところだけ目ざといなんて、シャルルカンはずるい。本当にずるい!
「な、なんで裸で寝てるのよ!」
「さあ。覚えてねーなあ」
 腕を放してよ、と口に出す前に腕を強くひっぱられて、わたしはあろうことかそのまま、ベッドに寝そべるシャルルカンの上に乗り上げてしまった。押し倒すみたいな体勢になって、わたしの下でシャルルカンは満足そうな顔して笑っている。ひっどいスケベな顔。もう、なんでこうなってるんだろう? わたしはただ起こしに来ただけのはずなのに!
「おはようのキスは?」
「しないよ、バカ!」
「あっそ。じゃあ起きねえ。おやすみー」
 途端、シャルルカンはわたしの背中に腕を回して、自分の隣にごろんと横にさせた。ごつごつした硬い筋肉が当たって痛い。シャルルカンの高い体温が直接触れて、わたしまで熱くなってしまいそうだ。手をグーにして胸を叩いてみても、シャルルカンはどうってことない顔してもう一回寝ようとする。
「は、放してよ! シャルの変態!」
うるさい。ほら、おやすみのチュー」
「やだ!! ばかっ、シャル、放して!!」
「いでっ、暴れるなよ! キスするだけだっつの」
「そ、それがやだって言ってるでしょー!!」




セクハラしかしない(130303)























 小柄だがの身体はしなやかで、謝肉祭の衣装なんかを着ていると特に、その腰のくびれや太ももの曲線がそれはそれはもうたまらなく扇情的で、官能的に映えて、つまりはすっげえエロいってことなんだけど、俺以外の男には見せたくないような、むしろ見せびらかしたいような、複雑な欲望が俺を支配してやまないのである。
「シャルさん! 踊り、見ててくれました?」
「ああ、勿論! お前がイチバン綺麗だったよ」
 本当に、やらしい目でお前を見ている男をかたっぱしから切ってやりたくなるくらい、最高の舞だった。お前が嫌がるだろうから剣を持たないでおいたんだが、そんな俺の我慢をぜひとも褒めてほしい。舞が終わったばかりで頬の赤いの、左のこめかみに花を挿してやると、花なんかよりもよっぽど可愛くほころんだ笑顔が返ってきて俺までニヤけてしまう。やべえ、まじで可愛い。
「そうだ、ピスティたちもお前に会いたがってた。行こうぜ」
 さりげなく腰を抱き寄せてみても、はいやな顔をしたり避けたりしない。もしかしてこれって脈あり? と、調子に乗ってしまわないわけでもないが、俺はあくまでも‘かっこいい先輩’なのだ。この生殺しのような、あいまいな関係から抜け出したいのは山々だが、の無垢な瞳を前にすると、俺もなかなか強引な行動に出ることが出来なくなってしまう。もしも嫌だ、きらいだと拒まれてしまったら――――そのときに受けるダメージは相当なものになるだろう。そんなのは御免だ。
「その衣装、お前によく似合ってるぜ」
「本当ですか?」
「ああ。なんつーか、すげえソソられる」
 悪戯心でためしに言ってみると、は目を丸くして頬をもっと真っ赤にした。その顔は、言い出した俺のほうが後悔するくらい可愛くて、ウッてなる。やっぱり俺、今日が頑張りどきなのかも。たまには強引に攻めなくちゃ駄目だ。誰かに取られるくらいなら、多少拒まれたとしても、押して押して俺のものにしてしまうほうがいいに決まってる。近くで見つめたの潤んだ瞳が俺を誘う。ああ、やっぱり、我慢できない。
「なあ、
「何ですか、シャルさん?」
「皆のところに行くのはやめだ」
 立ち止まった賑わいのど真ん中で、俺はそのままの唇を奪ってやった。今までずっと触れたくて我慢していた、小さくて甘い唇。キスだけで目の前がぐらついてしまうくらい、俺はずっとを求めていたのだということを知る。
「やっぱり俺の部屋でもいい?」
 今ここで拒まないのなら、俺はもうお前を離してなんかやらないんだけど。……どうする?




直球じゃなきゃ (130306)























 先に上がります、と礼をして帰っていくの後ろ姿をじっと見ていると、シンがにやにやと茶化すようにこちらに視線を寄越してきた。ついこそばゆくなって睨みつけると、悪びれる様子もなくシンは書類の続きに目を通す……ふりをして、顔を隠している。笑い、こらえきれてないですよ。私のことはいいから早く仕事を終わらせてください。時計をちらりと見やると、もうすぐ夕刻の鐘が鳴る頃だった。
「いやに時間を気にするな。ジャーファル」
「……え」
「デートの約束でもあるのか?」
 ――――どうしてこう、妙に勘がいいのだろう。この王様は。


 執務室を出て、急ぎ足で廊下をわたり、入口へ向かう。察しのいい王様の計らいで、いつもの時間より早く仕事を切り上げてくれたのだ。そんな風に気を使わなくとも、公私混同をするつもりはないのに。シンはのことを気に入っているから、別に私のためにしたんじゃない、なんて天邪鬼なことを言ってくれるのだろうけれど。
「――――あ、」
 柱の影にがいた。私に気づいてひらりと手を振る。文官の制服を脱ぎ、幾分か過ごしやすそうな服に着替えている。急いで近寄る私を見るなり、はぷっと笑った。夕日の映る頬は、少し日に焼けていて、夏が近いのだと思わせられる。
「そんなに急いで来なくても良かったのに」
 気づけば髪が風にあおられてだいぶ跳ねていたみたいだ。……そんな風に笑われたら、なんか恥ずかしい。ぼさぼさの前髪を手櫛で直しながら、少しだけうつむく。
「だって、貴女があんなに早く帰るから」
「着替えたかっただけですよ」
「……待たせてしまうと思ったんです」
 ああ、慌てた理由を説明すると余計に墓穴を掘ってしまう。
 くすくすと楽しそうに笑うは、頬を少し赤らめて首をかしげた。まるで私をなだめるように覗き込んで、黒い瞳を愛らしく瞬かせる。
「嬉しいです」
 ……なんて無邪気に、微笑まれたら、どうしたらいいのか分からなくなるじゃないですか。私の顔はきっと、夕日に負けないくらい赤くなっているのだろう。髪を直すふりをして顔を隠して、困ってしまったのを誤魔化すけれど、には意味がないのだと思う。
「は……早く行きましょう」
 もうらちが明かないから、その手を取って強引に歩き出す。にこにこ笑うはぎゅっと握り返してくれた。幸せそうなその顔を見ていたら、私だって嬉しい。が私のために着飾ってくれるのも、仕事が終わるのを、こうしてけなげに待ってくれることも、全部。
 目が合えば、わけもなく笑みがこぼれた。こんなに可愛いこのひとが、私だけのものだというのが、どうしようもなく嬉しくて。
「…………
「何ですか、ジャーファルさん?」
 その格好、すごく可愛いです、と伝えれば赤くなる、小さな頬が愛しい。




サリヤの夕焼け (140805)






























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