の実家は滋賀では名のある地主だそうだ。先の台風で屋敷の所々をやってしまって、ならばいっそのこと全部建て直そうと父上殿が思い立って改築を始めたらしい。それまで大事な娘御はこの曇神社に預けて、自分たちは西にある別荘に移ろうと。聞けばすべて父上殿の策略だ、とまで言われているらしいじゃないか。の父上殿は天火のことをいたく気に入っていて、の嫁入り先に狙っているんじゃないかって。どこまで本当か分からないけど、たしかに嫁入り前の娘を男の元に預けるっていうのは、少し不用心なんじゃないかと思う。それはたとえ曇家が、此処らで絶大な信頼を誇っているとしてもだ。

「白子さん」
 次はどうしたらいいのかと、洗濯板を持ったが俺の裾を引いた。てっきり箱入りの娘だと思っていたけれど、はそれなりに家事をこなせるようだった。洗濯が好きだからと、今まで俺がやっていた分を引き受けてくれたり、俺にも遠慮をするなと言いつけて炊事を変わってくれたり。が此処に来て1週間ほど経ったけれど、意外と気が強いところがあるんだと、最初は驚かされたものだ。
「お茶でも入れて、休もうか」
「でも」
「いいよ。のおかげで、やることは大分無くなったよ」
 手伝ってくれてありがとう。言えばは、照れくさそうに笑ってうつむいた。
 俺も居候の身だからこう言うのはおかしいけど、あんまり何でもかんでも気を回さなくってもいいんだよ。家事を手伝ってくれるのは助かるし、すごく嬉しいんだけど。世話になっているからって、そんなに気負わなくていい。天火たちはのこと、厄介だなんて思ってないからさ。
「お菓子を作ったんだ。みんなで」
 食べよう、と言い切る前に、どこからか聞きつけてきた天火と宙太郎が、釜戸に勢いよく顔を出した。
「よーし!! みんなでおやつの時間だ! 白子、茶も頼むな!」
さん、あっち行くッス〜! おいらの隣に座ってね!」
 名残惜しそうに俺を見やりながら、はわいわい騒ぎ立てるふたりに連れられて行ってしまった。まったくしょうがないな。宙太郎はちゃんと手を洗ったかな。そもそも天火は、ちゃんと仕事を終えてきたんだろうか。ああ、空丸が庭で剣を振っているはずだから、誘っていかないと――――。
 …………俺も大概、呆けてる。幸せな夢でも見てる気分だ。騒がしい日常に慣れてしまったなんて、昔の俺が聞いたら驚くだろう。変わった気なんかこれっぽっちも無かったはずなのに、たまにこうして思うことがある。俺は俺のままなんだろうか? 意思も望みも何にも変わっていないけれど、それを抱く俺は、昔と同じ俺のままなんだろうか、って。


「白兄、これあげるッス!」
 手のひらにぽんと差し出されたのは、和紙の折り紙で作られた鶴だった。宙太郎は大事そうに抱えたそれらを一つずつ、俺たちの手に渡していく。大事にしていた和紙で折ったから、と思い入れ深いそれは不格好だけど、ずいぶん特別なものに見えた。は壊れないように手のひらにそっと乗せて、どこに飾ろうかと、困ったように笑う。
 粗の目立つそれが、ひどく特別なものに思えた。また増えてしまった。捨てられない、大事なものが、押し入れのなかにだいぶ溜まっている。
「大事にしてやってよ」
 折り鶴にそっと触れるは、俺の言葉に優しく笑った。嬉しいと言って、俺にまで微笑みかけるは、本当に在るべくして此処に在るのだろうと思わざるを得ない。此処にいてよ。どうか俺が出来ない分を、君が埋めてあげて。傍にいるっていうのは、そういうことなんだ。あったかいその手に抱いてやるだけで、満たされるものが必ずあるはずだから。俺だって、同じだ。




ゆめよさめないで 141005























 が来てから家がまた明るくなった。女の子がいるってだけで家の中が華やかな感じがするな。今まで若いお手伝いさんなんかいなかったから、空丸が緊張してるのが分かって面白い。宙太郎だって、姉や母が出来たみたいに喜んでるし、実家の建て直しが終わればはすぐ出て行ってしまうのに、こんなんじゃまた別れが辛くなるんだろう。手伝いに来てくれてた山代のおばあちゃんとか、三上のおばさんにだって、幼い宙太郎は懐いてなかなか離れられなかったから。宙太郎は母親を知らないから、そういうのもきっと仕方ないのかもしれないけれど。

 夕方遊び疲れた宙太郎は、縁側での膝で眠っていた。安心しきった顔をして、よだれを垂らして。俺が顔を出すと、は小さく笑って宙太郎の頭を撫でてやっていた。は俺よりいくらか年下のはずだけど、やっぱり女の子は大人びていて落ち着いているなと思う。あどけない顔してるのに、宙太郎を見つめる目元なんか優しくて。
「膝、疲れるだろ。そろそろ運ぼうか」
「大丈夫ですよ。それに裾、捕まれちゃって」
 ぎゅっと握られて、離してくれないのだと言う。見やれば宙太郎はきゅっと、の着物をしっかりと掴んでいた。もう12にもなるのに、童みたいだな。
「ごめんな。ありがとう」
 何の気なしに言った言葉、だったんだけど。は興味深げに俺を見上げた。何か変なことを言ったか聞くと、首を振って笑う。
「白子さんって、やっぱりお兄さんみたい」
「……そうかな?」
 俺はただの居候だよ。なんて、呟いてみたけれど、は嬉しそうに笑って宙太郎の髪を撫でるだけだった。兄、か。もう10年も共に暮らしているのだから、そういう感覚があって当たり前なのかもしれない。
 の横顔を見ていたら、よく分からない感情に胸の奥が支配されていく。宙太郎が幸せそうな顔で眠っているのも、が膝を貸して、こうやって優しく撫でてあげているからだ。それがどれほど、この子たちを安らかにしてくれるのか俺には分かる。傍で眠るなんて、命を全部預けているのと同じじゃないか。恐ろしくって俺には出来ない。自分のすべてを委ねて、守ってもらっているという自覚がなければ、そんなこと出来ないんだよ。委ねられる方だって同じ、だろ。
「……良かったな、宙太郎」
 言っても、むにゃむにゃとよく分からない寝言が返ってくるだけだった。こうして撫でてくれる人がいるなら、大丈夫だよ。おまえは愛されて、きっと幸せに生きていける。そういう血に生まれているんだよ。俺とは違ってね。


 薄っすらと目覚めた宙太郎は、眠そうに身じろぎしながら、甘えるようにの膝にきゅっと抱きついて顔を伏せた。今日はやたらと甘えん坊だな、と俺がからかっても、宙太郎は起き上がろうとしない。様子が変だ。に名を呼ばれても、黙って大きく頷くだけで、覗き込むようにして見れば、鼻の頭が赤くなっているのが見えた。……ああ、泣いてる、のか。
「……ずっと此処に居てくださいッス。さん」
 ぼそりと、掠れた声が聞こえた。あんまり寂しそうに呟くから、が驚いた顔してまばたきをしている。頭を優しく撫でながら、はうん、とだけ言ってうなづいた。何と言ってやればいいのか、俺はよく分からなくて、宙太郎につられて泣きそうな顔してると目を合わせて笑うことしか出来なかった。
「……そろそろ夕食の時間だよ」
 小さな宙太郎の頭をぽんと撫でて、立ち上がる。拗ねたように伏せた宙太郎は、の膝に頬を預けたままやっぱり動かなかった。これじゃあもう暫くはこのままかもしれない。ごめんな、と俺が断ると、は首を振る。大丈夫だと笑った横顔があんまり優しいから、俺まで胸が痛くなった。
 これは宙太郎が、ずっと欲しかったものかもしれないな。柔らかくてあたたかい手のひら。無償の愛をくれるそれが、羨ましくて、疎ましい。




おれにもほしかった 141004























 大蛇様の器の居所を探すのに、曇神社の庭に降りた。家に行けば確実に居場所を知れるとあいつは言っていたが、人払いでもしてあるのか周囲には人の気配がほとんど無かった。家の中には一人分の気配だけ。覗いたところ何の変哲もない娘だ。俺に気づいているのか知れないが、平然と片付けなんかをしている。あいつが言っていたのはこの女のことか? 聞けば器の居場所が分かるのだろうか。わざと音を立てて、襖を開けて近づいてみる。
「……! 白子さん!」
 女は俺を見て慌てて立ち上がった。うつむいていてよく見えなかったが、身ぎれいな妙齢の娘だ。近づけばふと、あいつの匂いがした。その肌、服に、少しだけ残っている。血を分けた俺にだけ分かる特別な匂い。曇家には関わりのない女のはずだ。それなのに少し、匂いを残すほど触れているなんて妙だ。
「宙太郎くんは見つかりましたか?」
「……いや」
 何のことを言っているのかは、分からなかったがよほど緊迫しているのだろう。女は泣きそうな顔をしてまたうつむいた。洗い立ての布の匂い。釜戸に立って料理をしていた匂い。生活の匂いの中に、たしかにあいつの匂いが混じっている。
 ちらと目が合えば、女はじっと俺を見つめた。気づいたのか。俺が金城白子でないことに。
「白子さん、怪我を?」
 ……息が詰まるほど優しい、声で。女は俺の頬に触れて、包帯の巻かれた右目のあたりを撫でた。手を払いのけるのは、金城白子としてはきっと誤りなのだと思った。女はためらいなく手を伸ばしたから。あいつの身体を、心底心配しているというように。それがすべての答えだと悟った。
「ああ」
 痛くて。顔を歪ませて、笑った。金城白子だったらこうするのではないかと思ったのだ。何度かこうやって笑うのを見たことがある。どんどん柔らかくなる表情を俺は、ずっと、ただそれだけを見ていたから、真似るのは簡単だった。なんせ同じ顔をしている。目の前の女は金城白子をこんなに大切に思いながら、別人であることに気づきもしていない。
 愚かな女だ、と思った。俺の身体にぶしつけに触れたこの手を、今すぐにでも切り落としてしまおうか、迷う。
「包帯、巻きなおしましょうか」
 女は遠慮をするなと、笑った。明るい声色はまるで母上のそれのようだった。身体を、傷を、委ねろと。笑顔で両手を差し伸べてくれる。その身体からはあいつの匂いがしている。ああ、そうか。お前は、是を欲しかったのか。こういう風に触れる手が良いのか。お前が求めているなら、俺が求めないのはおかしい。お前は俺で、俺はお前なのだから。
 細い手首を強引に引けば、小さな身体はすぐに俺へ飛び込んできた。途端に強ばった女の身体は、忍のそれとはまったく違う。柔らかくて、母のそれよりもずっと小さくて弱かった。こんなものを抱きしめて本当に満足していたのだろうか。お前が求めていたのは是か? 俺に分かるように匂いを残したのも、是のためなのか。
「白子さん」
 こんなときに、と俺を見上げた頬が赤かった。金城白子はいつもこうして、お前を抱いていたのだろうか。俺にしか分からない匂いがしている。額、耳の後ろ、首、俺と同じ、風魔小太郎の匂い。
 俺たちはふたりでひとつなのだから、俺もあいつと同じでなければならないのだ。風魔小太郎を作るもの、すべて。互いの願いを互いが叶える。あいつは俺で、俺は、あいつだ。
「……!」
 くちびるを奪えば甘い菓子の味がした。柔らかいそれは、俺を、金城白子を拒むことなく、黙っている。すべてが恨めしく、疎ましかった。あいつはこうやって受け入れられて、それに甘えていたのだと気がついて、このままちっぽけな首を掻っ切って殺してやろうかと思うほど。武器なんかいらない。手のひらを首の根本に添わせて、力を込めるだけ。どくりと脈打つのが聞こえる。女は、抵抗もせずに、何も分かっていない顔をして、俺を見上げていた。
 ……金城白子に殺されるだなんて、これっぽっちも思っていないみたいに。

 それが全部の答えだった。あいつが今までそういう風に、この女の傍にいたのだと知った。是が俺の知らないあいつを作った。ならば俺はあいつのために是を愛さでいられようか。あいつはそのために是に匂いを残したのだ。
「……此処を動くなよ」
「白子さん?」
「あとで迎えに来るから」
 是が在れば俺も同じになれる。そう思った。俺たちはふたりでひとつなのだから、互いを作るものも同じでなければならない。離れてしまった俺たちを、是が繋いでくれると思った。是が在れば俺は、俺たちは、同じでいられるんじゃないかと思ったのだ。
 きっとお前が必要だ。俺にも、あいつにも。名残惜しそうに俺を見る目が恨めしかった。血の匂いのしないその手で、俺を抱くのがどうしようもなく。




あなたがほしいもの 141006























 物音なんかは立てなかったつもりだけど、襖の開く音が聞こえて、振り向けばが座りこんで俺を見上げていた。
「……風邪、引いたんだって?」
 最近の悪天候と慌ただしい移り変わりにすっかり中てられて、は身体を壊してしまったらしい。見たところ熱があるわけではなさそうだったが、畳を這うその顔は青白く、生気がなく思えた。寝てなきゃ駄目だろ。俺が笑いかけると、首をうつむかせたはしんどそうに浅く呼吸する。俺に何を言えばいいのか分からないから黙っているのか、単に言葉を返すだけの体力がないのか、どちらか。
「白子さん、傷は……」
 ふと何を言われているのか、分からなかった。目の前にしゃがみ込めば、の手が俺の顔のほうに伸びてくる。頬に触れて、覗き込んでいるのは俺の右目だった。ああ、やっぱり会ったのか、あいつに。
「傷なんかないよ」
「え……?」
「お前が会ったのは俺じゃないんだ」
 先生に薬を処方してもらったのだろうか。腕を引いて抱きこめばの身体はぐらついて、簡単に抱きあげることが出来た。部屋の真ん中に敷いてある布団に横たわらせて、文句を言いたげな唇を手のひらで軽く塞ぐ。
 寝てなきゃ駄目、って言ったろう。ちゃんと言うこと聞いてよ。
「双子の弟がいてね」
「……、」
「詳しいことは、全部終わってから話すよ」
 誰も居なくなったこの家で、けなげに帰りを待っているお前があんまり可哀想だから。俺のことまで待っていたんだろう? 何にも知らされずに、皆の帰りを待っていたんだろう。真実はあまりに残酷かな。お前は受け止められないって、俺を拒むかもしれないね。だったらそれでもいい。所詮はすべてまやかしの、幸せな夢だったんだ。
「少し眠ってて」
 唇を重ねて、ゆっくりと薬を流し込む。ただの眠り薬だよ。毒じゃない。それでも風邪薬を服用してるなら、しばらく目覚められないかもしれないけれど、全部が終わった頃にはちゃんと起きられると思うから。はやっぱり何か言いたげに、唇を小さく震わせている。涙をいっぱいに浮かべたその瞳を見ていると、何故だか俺は平気では居られなくなりそうだった。そんな顔を、するなと、言いたかった。
「連れて行かないよ」
 お前は此処にいて、帰りを待っていてあげてよ。俺に出来なかったことをしてあげて。孤独なんか感じることないように、寂しさなんか感じることないように、ずっと一緒に。傍にいるって、そういうことなんだ。

「……おやすみ」

 の隣に居る間、俺は幸せだったよ。夢のようなまどろみだった。もう二度とこの温度には触れられないのだと思ったら、どうしようもなく悲しくて、うつむいた瞳から涙が落ちて行った。たとえただの夢だったとしても、俺はもうそのあたたかさを知ってしまったから。




これでさいご 141007
























































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