きみはジュリエット | 真琴と憧れのお姉さん (140402~140405)

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 俺が高校生になったときさんは大学3年生になっていて、久しぶりに会ったとき、さんが昔よりずっと大人っぽくなっていたことにひどく衝撃を受けた。化粧をしていて、髪だって茶色くて、久しぶりに会うと昔とはまったく雰囲気の違う、まさに年上のお姉さんって感じで。急に距離を引き離されてしまったような、そういう寂しさがあった。近所であまり見なくなったのは、さんが大学生になってからだ。生活リズムが驚くほど違って、姿を見るのは早朝か、何にもないような日の夕方にだけだった。
 さんは久しぶりに会った俺を、幼い頃と同じように真琴くん、と呼んだ。さんがどんどん遠くに行ってしまう気がしていたから、それがどうしようもなく嬉しくて、さんの変わっていないところを見つけるとまた距離が縮められる気がして嬉しかった。ナチュラルな化粧も、優しい茶髪もさんにすっかり似合っている。始めは強くあった違和感も徐々になくなっていって、玄関先でその姿を見つけると自然と動悸が激しくなっていた。

 年が5つ違えば、過ごす環境は少しも重ならない。顔を見ていればこの気持ちに気づかれてしまいそうだったし、俺はどうしたって、さんには追いつけないのだと知っていたから、望むこと自体間違ってるんだって、自分にずっと言い聞かせ続けてきた。
 さんは大学卒業後、東京で就職してOLをやっているらしかった。偶然にも俺の進学先も東京で、もしかしたら会えるんじゃないかなんて淡い期待を抱いたりして。けれどようやくあの頃のさんと同じ場所に立てたのに、さんはどんどん先へ進んでしまっているのだから、何をしても追いつけないこの距離がただただもどかしい。

 けれど、予想外なことが一つだけあった。一人暮らし先を決めに行くとき、真っ先にさんの名前が挙げられたのだ。
 右も左も分からない俺のために親がさんに連絡をいれて、少しのあいだ面倒を見てくれるように頼んでくれた。ふいに近づく機会が訪れて、あまりにも急なことで、戸惑ったけれど、さんは電話口で「合格おめでとう」と喜んでくれたから、俺はすごく嬉しくてなんだか泣きそうになってしまった。懐かしい声色と憧憬とがない交ぜになって、見知らぬ感情で胸がいっぱいになる。
 さんに会いたい。昔から憧れてきた、可愛い年上のお姉さん。俺の気持ちをぜんぶ奪っていったくせに、決して追いつかせてはくれない、憧れのひと。今までずっと蓋をしていた気持ちがこぼれていく。もしかしたらまた、前のように戻れるかもしれない。今なら前より、もっと近くにいられるんじゃないかって、そんな期待をしてしまう。

 ずいぶんと長い片想いをしているみたいだ。俺はやっぱり、さんが好きなのだと思った。



01 (140402)
















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「ごめん、荷物適当においていいよ! お茶入れるね」

 東京駅まで迎えに来てくれたさんは、すぐに俺を見つけて家まで連れて行ってくれた。久しぶりに見たその顔は、前とあまり変わっていなかった。こんなに華奢なひとだったっけ。昔はもっと差があったような気がしたのは、俺の背が伸びたせいだろうか。髪も黒っぽくなっているから、かえって幼くなったようにさえ感じる。
 けれど清楚なワンピースも、控えめなヒールも、大人っぽくて少し、遠い。やっぱりさんは、俺より一歩も二歩も進んだところにいる年上のひとなんだと思わされる。

 さんが一人暮らししているアパートは、少しレトロな外観をした、お洒落な建物だった。ドアを開ければハート型の玄関マットが床に敷かれていて、ピンクのスリッパや、白いのれん、奥に見えるリビングの机やクッションも、すべてが甘く可愛い雰囲気で揃えられている。いい匂いがしたし、女の人の部屋っていう感じで、入っていくのが少しためらわれた。
 俺がそわそわしている傍らで、さんはお茶を出してくれて、座るように促してくれる。ふと壁を見ると、スーツがハンガーにかけられていて、その下にはバッグが転がっていた。整えられたベッドにシェリーメイのぬいぐるみがある。物干しざおにはブラウスやTシャツがかかったままで、はっとして目を逸らす。至る所に生活感が溢れていて、なんだか肩身が狭い。さんが、ここで生活してるんだ、って意識してしまえば、きょろきょろするのも憚られるくらい恥ずかしくなった。
 やばい。俺、ここにしばらく寝泊りさせてもらうんだ。まともに気を保っていける自信がない。

「真琴くん、大人っぽくなったね」

 机越しにさんが微笑んで、ついどきりとしてしまう。久しぶりに会って、俺はやっぱりさんのことが好きだと思ったし、こんな風に笑顔を向けられるのに慣れていないのだ。なんだかまだ、夢みたいだ。憧れてた年上のお姉さんの、さんが、今俺の目の前にいるなんて。ずっと追いつけない距離にいたのに。

さんは、変わってない」
「ええ? そうかな?」
「黒髪も似合ってます」

 からかわれたと思ったのか、さんは恥ずかしそうに笑った。自分でも子供っぽいのは気づいてるよって、昔のままの笑顔で。こうしてちゃんと話すのは、初めてかもしれなかった。さんの大学時代のこととか、俺の高校時代のこととか、水泳のこととか、離れていた間のことを話して、さんは興味深そうに俺の話を聞いてくれた。水泳、もうやめるつもりだと言ったら、惜しんでもったいないよと諭すように言ってくれて、それがやけに胸に落ちて行った。そういえばさんも俺と同じスイミングクラブに通っていたのだ。俺よりだいぶ早く、辞めてしまっていたけれど。

「お腹空いたよね。真琴くん、オムライスでいい?」

 気づけば時計が18時を過ぎていて、さんがキッチンに立ってオムライスを作ってくれた。女の人に料理を作ってもらうのは、母親以外に初めてだ。なんだか緊張する。さんはずいぶん手際が良くて、簡単そうに作ったオムライスはびっくりするくらい美味しかった。さんって料理が上手いんだな、と思った。俺、この味が大好きだ。明日はどこかに食べに行こうか、なんて言ってくれたけれど、俺としてはさんの手作りの料理が食べたい、っていうのが正直な気持ちだったりする。けれど我儘を言うのも気が引けたから、ただはいと言って頷いておいた。
 明日は、もうほとんど決めてある一人暮らし先の家を見に行って契約してくるつもりだ。さんの仕事が終わるのに合わせて、待ち合わせようと言ってくれた。それからご飯を食べようって。東京観光付き合えなくてごめんね、とさんは申し訳な顔をしていたけれど、俺こそ今日、貴重な日曜を潰してしまって、申し訳ないと伝えると、さんは首を横に振って笑った。

「久しぶりに会えて、嬉しかったからいいの」

 なんて、明るく笑うさんが大人っぽくて、少し焦れったい。



02 (140402)
















...


 適当につけたテレビの音の向こうで、さんがシャワーに入っている音が聞こえる。無性に気恥ずかしくなって、聞こえないふりをしてスマホをいじるけど、どうしても耳が聞き取ろうとしてしまう。シャワーが止まって、扉が開いた音も、しばらくしてドライヤーの音が聞こえてきたのにも、いちいち敏感に反応して緊張してしまう俺がいる。さんの生活を覗き見しているような、そんな気分だ。なんか悪いことしてる気分。
 居心地悪くてはあとため息をついたとき、ちょうどさんがリビングに現れた。髪がまだ濡れていて、頬が赤くて。パジャマ姿が可愛くて、あまりのその無防備さに、ぐっと息を飲む。

「あ、ごめん、いま布団敷くね!」

 さんはタオルを頭にかけたまま、押し入れからごそごそ布団を取り出す。小さな体で布団を抱え上げようとするから、俺がやると言って割り込むと、さんはくすぐったそうにありがとうと言って笑った。さん、力仕事とかできなさそうだ。こういうのは俺に任せてくれていいのに。やっぱり子供扱い、されてるのかな。

「明日からまた仕事かー」

 ベッドにごろんと寝転がってじたばたするさんだって、そういうところ、少し子供っぽいくせに。俺がぷっと笑うと、さんは「大学生に戻りたいよ」と言って、少し切なそうな表情を見せた。
 大学生に戻ってください、と言いたかった。できれば俺と同じくらいの年になってくださいって。ばかみたいなことだけど、俺は本当にそう思ったのだ。そうしたらさんは俺のこと、子供じゃなくて恋愛対象として見てくれるんじゃないかって。明日も早いからと言って、さんは1時過ぎには眠りについていた。ベッドの横に敷いた布団に寝転がって、見上げるとさんが寝ているのが見える。暗やみに浮かび上がるような白い手に、手を伸ばせば触れられそうだった。
 同じ部屋に眠っているということが、ありえない現実で、俺はやっぱり夢を見ているんじゃないかと思ってしまう。お風呂上りのさんとか、眠っているさんが、俺の目の前にいるなんて。自分が背伸びしているみたいだ。大人になれた気がして、このままさんの傍にいられたらと、思いあがったこと考える。聞いてはいないけれど、さんは彼氏がいるのかもしれないし、俺のことはただの年下の幼馴染としか思っていないのかもしれない。だとしたら悔しい。俺のことも、男として見てくださいって、言いたい。

 俺じゃなくても、さんはこの部屋に泊めてしまうんだろうか。上京してきた幼馴染の男が、もし俺以外にもいたら、優しく受け入れていたんだろうか。そんなの、いやだ。胸の奥が焦れていく。
 もっとさんの近くに、いきたい。俺は子供だし、さんに釣り合うはずないと分かっているけれど、どうしてもそうしたいのだ。そうしたいと思ってしまった。昔と同じくらいの距離で、俺のことを見てくれたら。年の差や環境なんか関係ないって、言ってくれたら。

 眠るさんを見て、やっぱり触れたいと思う。時折聞こえてくる身じろぎや、寝息に興奮して、眠れない。はあとため息をついた。俺がこんなよこしまなこと考えてるなんて、さんは一ミリも知らないのだろう。不用意だ。無防備だし、あまりにも警戒心がなさすぎる。昔のままじゃないのはさんだけじゃなくて、俺だって同じなのだ。悶々と考えているうちに、気づけば眠ってた。疲れていたのか夢も見ずに、落ちるようにそっと。



03 (140402)
















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 さんが連れて行ってくれたイタリアンのお店は、値段のわりに量が多くて美味しいのだというおすすめのところで、さんは仕事終わりだからと少しお酒を飲んでいた。グラスワインを傾けて、美味しそうにパスタを食べるさんは、大人っぽいのになんだか無邪気で可愛かった。くちびるの端についたクリームソースを指でぬぐったり、食後のデザートのティラミスを一口一口大事そうに食べるところとか。すごく幸せそうに食べるんだなあって思って、俺まで嬉しい気持ちになる。

「真琴くんも大学行ったら、きっとお酒飲むようになるね」
「そう……なのかなあ」
「たぶんね。真琴くんは意外とお酒、強そう」
「分かんないですよ」
「分かっといたほうがいいよ、私、すっごい弱かったんだから」

 昔はすぐに顔が真っ赤になって、からかわれて恥ずかしかったんだって、白い頬したさんが笑う。
 帰り道のタクシーを降りて、アパートの玄関口でバッグを漁って鍵を漁るさんに近づいたとき、少しお酒の匂いがした。こういう慣れたところが大人なんだ。さんは雰囲気は落ち着いてるけど、顔立ちは幼いほうで、たぶん見た目だけなら俺とそんなに変わらないのに。俺だってさんと同じ年だったら、一緒になってお酒を飲んで、弱いねって言ってからかっていたかもしれない。お会計のときに、いいよって伝票を取りあげていたかもしれない。お酒を飲んで楽しそうに笑うさんのこと、もっとずっと見ていたのかも、しれないのに。
 どうしようもないから、もどかしい。

 おなかいっぱいだねってベッドに座って笑うさんが、こうして俺の目の前にいるなんて嘘みたいだ。お酒くさいよって言ったら、そうかなあなんて楽しそうに寝転んで、幸せそうな顔で目をつむる。さんはやっぱり無防備だ。自分のことが好きな男が目の前にいるのに、そんな風に可愛い顔して笑うなんてさ。
 俺のこと男として見てないんですかって、言いたかった。今彼氏いるんですか、いなければ俺のこと、考えてくれませんかって。でもさんを困らせたくないから、言えないまま。本当は聞くのが怖いから、だけど。さんは俺に彼女いるのかなんて、ごく当たり前のように聞いてきたけれど、それって俺のこと、意識してないってことなのかな。

「久しぶりにデートなんかしたから、テンション上げすぎちゃったな」

 ふいに、さんがそんなことを言った。
 デート。そう言われれば、たしかに、デートだったのかもしれない。さんはふざけて言ったのかもしれないけれど、途端に意識して恥ずかしくなってくる。久しぶりってことは、彼氏いないのかな。勝手にそう解釈したけれど、さんが楽しんでくれているなら、それでいいのかもしれない。「なんてね」と付け足して顔を伏せて、デートって言った本人のほうが照れてるんだから、少しおかしい。

「俺は、デートだと思ってますよ」
「あはは。こんなおばさんに付き合ってくれて、ありがと」
「おばさんじゃないです。さん、可愛いし」

 さんはびっくりした顔をしていた。可愛いって言われたのが予想外だったのか、またばたりとベッドに倒れこんで顔を伏せた。
 ああほら、そういうところ、すごく可愛いんだ。



04 (140403)
















...


さん、起きてください。朝ですよー」

 目覚ましのアラームが鳴り響くたびにさんは寝ぼけながら止めていた。気づけば最初になってから15分が過ぎていて、少し心配になる。……これって、寝坊じゃないのかな。何度も呼びかけて、時間を伝えていると、さんはいきなりハッと目を開けてがばっと起き上がった。そして時計を確認するなり「やばい!」と叫んで、ばたばた慌ただしく準備をし始める。やっぱり、少し寝坊だったみたいだ。
 洗顔して歯磨きして、通勤スタイルに着替えて、髪をまとめながら化粧台に向かって、俺にわき目もふらず一生懸命身支度をして。女の人は時間がかかるから大変だなあ、なんて他人事のように考えていると、焦って化粧をしながら、さんが俺の名前を呼んだ。

「今日の夜、何か食べたいものあったら、連絡してね」
「……さんが作ってくれるんですか?」
「え? うん、それでもいいし、外食でもいいよ」

 東京には3泊4日の予定で来ている。明日の午前中の便で帰るから、俺がさんと一緒にごはんを食べられるチャンスは、今日の夜が最後ということだ。じゃあやっぱり、さんの手料理が食べたい。もうこれが最後、なのかもしれないし、少しくらい我儘を言ってしまおうか。さんはきっと笑って、オッケーと言うんだと思う。
 行ってきます、とぎりぎりまで慌ただしく出て行ったさんを見送るのは、なんだか心地よかった。同棲ってこんな感じなのかなって、勝手に妄想してどきどきしている俺がいたりして。





「ほんとに良かったの? どこか外食でも良かったのに」

 さんの手料理がいい、と言ったら、今日の晩御飯のメニューはハンバーグになった。仕事帰りに買い物を済ませてきて、帰ってきてすぐてきぱきと準備をしてすぐに完成させてくれた。見た目も良くて味も美味しくて、二人で一緒に食べるのもなんか幸せで。明日、俺は岩鳶に帰ってしまうけれど、何度でもこの味を食べたいなあって思った。これこそ、一番の我儘かもしれないなあ。

「俺、さんの料理が好きだから」
「……ありがと」

 褒めたら少し照れた顔するところも、可愛くて好きですよ、なんて。

「どこの家に決めたの?」
「えっと……この家と学校の間くらい。二駅分かな」
「そっか、じゃあまあまあ近いんだね」
「だからいつでもここに来れるんだ」

 言ってみると、さんは吹き出して笑った。失礼な。俺はけっこう真面目に言ったのに、そんなに笑うところかな。
 それは良かったと何の気なしに言って、さんは台所で洗い物を始める。もしかしたら俺の言ったこと、ただの冗談だと思われてるのかもしれない。洗い物手伝います、と隣に立つと、俺を見上げるさんはやっぱり小さくて、どうしようもなく可愛いなあと思った。
 こうやって一緒にいられた夢のような時間も、明日の朝には終わってしまうんだ。そう気がついてからは名残惜しくて、こみ上げる切なさにぐっと胸を押しつけられる。

「…………さん、俺ね」

 洗い物をしながら返事をするさんはやっぱり、大人みたいだった。昔から憧れていた横顔に、俺はいつも追いつけなくて。隣で寂しいと駄々をこねている俺が、あまりに子供っぽくて、少し辛かった。

さんのことが好きです」



05 (140404)
















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 さんはあまり驚いた様子じゃなかった。皿を洗っていた手を止めて、俺をじっと見上げる。少し不安そうな顔で、迷惑だったんじゃないか、と一瞬だけ頭によぎる。だけど取り下げることもしたくなかったし、たとえ拒まれても、最後にさんに気持ちを伝えておきたいと思ったのだ。
 ずっと好きでした。小さな頃から、さんの後ろ姿ばっかり追いかけていて、気づけばこんなに好きになっていました、って。

「……私、真琴くんより5つも年上だよ?」
「関係ないです。さんが何歳でも、俺は絶対好きになってた」
「でも。会うのだって、久しぶりだったし……」
「久々に会って思ったんです。やっぱり、俺、忘れられないって」

 ぐっと迫ると、さんは泡のついた手を水道で洗って、正面から俺と向き合ってくれた。
 こうしていると年上だってことを感じさせないくらい、さんは昔と変わっていなくて、俺が好きになったさんのままで、可愛くてたまらないと思う。こうやって傍にいるチャンスを不意にしたくない。
 俺は傲慢だから、思いに応えてくれなんて言えないし、ただ俺の気持ちを分かってくれたらそれでいい、って思う。たとえさんが俺のことを恋愛対象として見てなくても、これからゆっくり俺のこと、そういう風に見てくれるようになればいいって。さんは真面目だし優しいから俺の気持ちを不意になんてできないはずだ。少しずるいかもしれないけど。さんを手に入れるためなら、卑怯な手段だって使いたくなるよ。

 シンクに手をついて腕の中に閉じ込めると、さんは少し気まずそうに目を逸らした。真琴くん、と俺の名を呼んで、たぶんこれが俺を意識してくれているっていう証拠で、俺は無性に嬉しくなる。さん、照れてる。少し赤みを帯びた頬が、意外と純情で可愛いと思った。このままずっとこうしていたいって思うくらい。

「…………真琴くん、ずるいよ」
「え?」
「前よりずっと格好良くなってるんだもん」

 さんは、口元を手で覆いながら少しだけ笑った。俺は虚を突かれて、ぱちぱちと瞬きをしてさんを見つめる。

「でも、大人をからかっちゃだめだよ」

 ……俺を見て、しょうがない、みたいな目をするから、きっとこうして大人ぶって、俺を子供にするんだ、と気づいてしまった。
 俺が子供なんじゃない。さんの中で、俺が子供のままなだけなのだ。そりゃあまだ18で、大学にだってまだ通っていないし、俺は正真正銘の子供なのかもしれないけれど。それでも人を好きって気持ちが分からないくらい、子供なわけじゃないよ。

さんこそ、俺のことばかにしてる」

 気持ちが伝わらなくてもどかしい。最初からこうしたいと思っていたのかもしれない。子供扱いされてかっとなったのは、きっと理由じゃない。
 俺を拒もうとするその手を捕まえて、ぐっと引き寄せた。驚いたくちびるに自分のそれを重ねて、ほんの数秒、触れるだけの、つたないキスで言葉をふさいだ。

「ずっとこうしたいって……思ってたんだ」

 今、目の前にいる、俺を見てよ。子供とか大人とかじゃなく、年だって関係ないんだって、言って。



06 (140404)
















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 さんは今度こそ驚いた顔をしていた。近い距離のまま、さんの瞳が揺れて、その真ん中に俺を映しているのがよく見える。  こうやって抱きしめたらさんは小さくて、全然年上のお姉さんらしくなかった。細くて、柔らかくて、俺の腕の中にすっぽり収まってしまうただの女の子。さんがそうだねって言ってくれたらいいのに。年なんて関係ないし、俺だってさんのことこうやって抱きしめられるんだよって。

「…………真琴くん」

 俺が抱きしめているせいで、さんの頬が俺の胸にぴったりくっついている。身じろいださんは、俺の腕をつかんで少しだけ離れる。そしてためらいがちに俺を見上げて、困った顔で言葉を探していた。困らせてしまったんだ、って、知っていたはずなのに俺は傷ついて、胸の奥がぎゅっと締めつけられる。

「ごめん。ばかにしてた、わけじゃないよ」
「……うん。でも、子供扱いしてた」
「だって……真琴くんは可愛い幼馴染だから……」

 俺が笑うと、さんはもっと困った顔して目を逸らす。

「大学生になったらね」
「はい」
「誘惑がたくさんあるんだよ。同期とか後輩とか、可愛い子たくさんいて」
「もしかして、心配してるんですか?」
「そりゃ、後になって、こんなおばさん嫌だって言われたくないからね」

 本気で言ってるんだよ、と頬をふくらませるさんは、少し子供っぽくて可愛かった。頬が赤い。さん照れてる。俺がにやにやしていると、ぺしっとおでこを叩かれた。

「大学生になって、サークル入って、ちゃんと友達作ってバイトして、勉強して」
「はい」
「それでもまだ私のことが好きだと思ったら、ここにおいで」

 それが条件、とさんは人差し指をぴんと立てて俺に念を押す。
 てことは、俺のことは前向きに検討してくれる、ってことでいいのかな。本当に? さんは俺のこと、拒まないでいてくれるの? 強引にキスしちゃったし、無理やりに迫ったりしてる、けど。それでも俺のこと子供扱いするの、止めてくれるんだ。

「それから考える…………から」

 語尾がかすんだのは、さんが照れて顔をそむけたからで、俺はそういうのが全部嬉しかった。さん、可愛い。俺の顔がゆるんでいるのを指摘して、頬をつねったり、恥ずかしがってツンツンするところとか。大人ぶって笑う余裕がなくなってるところも可愛くて、やっぱりたまらなく好きだ、と思った。

「…………うん。分かった」

 だからそんな条件、俺には余裕すぎて笑っちゃうよ。
 さん、好きです。俺がそう言うと、「うん」とだけ言って小さく頷いたさんのくちびるをもう一度奪って、強く抱きしめた。春が待ち遠しい。だって俺の中にはこれから先もずっと、さんしかいないに決まっているんだから。



07 (140404)
















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 入学式が終わって、新入生研修みたいなのがあって、時間割を組んでサークルを決めて、ばたばたしているうちにあっという間に4月が終わっていた。5月も予定がたくさん入っているし、なかなかゆっくりする時間は取れないものだ。出来たばかりの友達も一人暮らしが多くて、しょっちゅう集まって適当に過ごしている。初めての一人暮らしは思いのほか大変だって思ってるのはみんな同じで、だけど俺にはさんがいるから、不安に思うことは少なかった。あれから一度も会いに行っていないけれど、連絡は少しだけ取っている。『大学どう?』なんてシンプルな文面でさえ、俺には嬉しいのだ。さんが俺を気にかけてくれているっていうだけで、俺は幸せだから。

『少しだけホームシックです』

 素直な気持ちを書いてみた。実際、岩鳶のほうが居心地がよかったし、大学生活は順調に進んでいるけれど、やっぱりまだ慣れなくて落ち着かない。

『これからだよ、頑張って』

 さんらしい顔文字つきのそれを見て、ふっと笑った。なんだかさんに会いたくなってしまった。
 大学生活に慣れて、それでもまだ好きだったらおいで、なんて言ってくれたけれど、俺の中からさんがいなくなることなんて絶対にないし、これからどこに行こうともきっとさんの面影を追い続けるのだと思う。サークルに可愛い子、はたくさんいる。俺に好意的な子もいるし、嬉しくないわけじゃないけど、きっと好きにはならないのだと思う。

さんに会いたい』

 隠しても意味のないことだから、ちょっとだけ我儘を言ってみた。少し恥ずかしくなってスマホをベッドに放って顔を伏せる。なんだこれ、俺、恥ずかしいやつ。返事はすぐに帰ってきた。ぴぴっと通知音が鳴って、急いで開くと、やっぱりシンプルな文面が入っている。

『大学生活、楽しんでね』

 ああ、やっぱり俺、遠ざけられてるのかな。この前言っていたことも、俺は前向きに受け止めていたけれど、もしかして、ただていよく断られていただけなんじゃ……。
 いや、そんなはずない。さんも多分俺のこと意識してくれてるし、こうやっていつも連絡を返してくれるってことは、少なからず好きだとか、気になるとか、思ってくれてるんじゃないかなって、思う。まあ、そう思いたいだけ、だけど……。

 会わなければ不安になるんだ、ってようやく気がついた。会えば気持ちが溢れていくのに、片想いってやっぱり、辛いな。
 イベントや授業に追われて、5月もまたあっという間に過ぎて行った。6月が始まるころにはすっかりサークルにも慣れてきて、友達も少しずつ増えて行って、飲み会にも連れて行ってもらうようになったし、初めてお酒を飲んで酔うって感覚を知ったりした。大人に片足つっこんでるような、そんな気分。頭の隅にはいつもさんのことがあった。ぼーっとしてれば、会いたいなあって思って切なくなるし。お酒の席で俺に甘えかかってきた女の子がいたけれど、やっぱりさんじゃないと、どきどきしないんだなって思った。

 大学に慣れて、楽しむことも覚えて、なあなあにテストを乗り越えて、気づけばもう8月が目の前に迫っている。俺はさんに電話をした。久々に聞いた声は変わっていなくて、安心する。

さんに会いたいんだ」

 電話越しに笑う声が、心地よかった。俺はやっぱりさんのことが好きだと思った。


08 (140404)
















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 さんの仕事終わりの時間に、最寄り駅で待ち合わせした。早く会いたくてそわそわしてる。にやにやするのを止められない。そういえば会うの半年ぶりだよなあ、ってすっかり暑くなった気温を感じて思う。半年は長いけど、さんの言っていたとおり大学生になってからの時間の流れは異常なくらい早くて、あっという間だった。でも俺の気持ちはこれっぽっちも変わってない。
 電車が着いて改札口からたくさんの人が降りてくる。俺はそこにさんの姿を探した。小さいから見えるかな、なんて思っていたら案の定、人の影に隠されながらすたすた歩いてくるさんを見つけた。

さん!」

 駆け寄ると、俺の名前を呼んで、さんがにこっと笑う。ああ、さんだ。久々に会ったさんは少し髪が伸びているけれど、何にも変わってなかった。やっぱり大人の人っていう感じがして、でも笑顔が可愛くて。俺が好きになったさんだ、って思う。

「久しぶりだね」
「はい。あ、お仕事お疲れさまです」
「真琴くんも学校お疲れさま」

 今日は俺がお願いをして、さんの家でごはんを作ってもらうことにしたのだ。久しぶりに会うから、好きなものを作ってあげるよってさんが言ってくれた。俺のリクエストは、さんの得意な料理。何を作ってくれるのかはまだ秘密にされている。
 初めてさんの家に行った日のように、駅からさんに連れられて家まで歩いた。蒸し暑い夏の夜で、少し歩くだけで額に汗をかく。もう夏なんだ、と思う。あの日とは全然違う。春が終わって夏になって、またこんな風にさんと一緒にいられるのが嬉しかった。暑いから手を繋ごうと言っても拒まれるんじゃないかな、なんて思って、言えないままさんの家についた。

 汗をかいたさんの肌に、髪の毛が張り付いているのがセクシーで、ちょっとドキッとする。やばい、こういうのすぐ顔に出るから、変なこと考えてるってばれてしまう。俺は気を引き締めるために自分の頬を叩いて、よく座っていた座布団の上に腰を下ろした。手でぱたぱたと仰ぎながら、先に着替えるねと言ってさんは洗面所に入っていく。久しぶりに来たさんの家も、見覚えのあるところばかりで、何も変わってなかった。それに無性に安心してベッドにもたれかかる。
 そうこうしているうちにさんが着替えて、ラフなTシャツとジーンズ姿になって出てきた。こういう格好していると、やっぱり幼くて可愛いなあ。仕事スタイルのさんもいいけど、家着のさんも無防備な感じがしていい……。なんて俺がぼーっと惚けていると、キッチンに立ったさんが慣れた手つきで髪をアップにしながら、真琴くん、と俺を呼んだ。不意打ちで少しびっくりする。

「今日、パスタにしようと思うんだけどいい?」
「はい! 俺、大好きですよ」

 さんが作ってくれるものなら、何でも大好き。俺がにこにこしていると、さんは照れたのかそっぽむいて、「ばかじゃないの」って呟いた。ああ、やばい、可愛い。俺幸せかも。たまらず立ち上がって、キッチンに立つさんを後ろから抱きしめていた。さんは驚かずに、危ないよとだけ言って俺をあやして、それでも俺がぎゅうっと抱き付くと、仕方ないといったように笑った。さんのそういう声も、落ち着いた横顔も、全部が好きだ。

さん、俺、大学楽しんでます。サークルも入ったし、バイトも始めたし」
「そっか。ちょうど夏休みだもんね。いいなあ、学生」
さんの言った条件、全部クリアしましたよ。それでも俺はさんのことが好きだって思いました」

 だから俺のこと、考えてくれますよね?
 自分でもずるい言い方だったと思う。でも俺を焦らしていたのはさんだし、これくらいはいいかなって。さんはふっと笑って、体の向きを変えて俺に正面を向いた。こんな風に近くにいるとさんはちっぽけで、弱くて、大人のくせにただの女の子みたいにも見える。俺にそういう顔を見せてくれるのが、ただ嬉しかった。さんは恥ずかしそうに笑いながら、うんと言って頷く。指先を絡めて、くちびるが近づいて、俺の目をじっと見るさんはやっぱり余裕があって、少し悔しい。

「大事にしてね」

 さんのくちびるは小さくて甘くて、柔らかくて、俺をどんどん夢中にさせていく。何度も何度もキスをして、飽きるまで抱きしめて、お腹が空いていることも忘れて、さんに何度も好きだと伝えた。このくちびるも体も心も、さんの全部が俺のもの。そうやって言い切れる日が来たらいいのに、さんは俺が捕まえるにはまだ遠くて、いつだってもどかしくさせるんだ。追いつけない分はこれから追いつくから。とりあえず今は、俺が今まで温めてきた想いを全部受け取ってください。

さん、好き。大好きです」


09 (140404)
















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 いつも余裕があってずるいなあと感じていたけど、たまに照れた顔をするのが可愛くて、もっとそんな顔させたいし、根を上げるくらい虐めてみたいなあって思ってた。何をするにでも俺より慣れてる感じがして癪だ。こうやってキスしたり、押し倒したりするのだって、俺が初めてなんてわけでもないだろうし。俺以外の男がこうやってさんに触れていたってことを想像するだけで、俺は嫉妬に駆られてしまう。どうしようもないって分かっているけど、すごく嫌だ。さんの可愛いところを知ってるのは、先にも後にも俺だけにしたい。
 なんて今更、過去のことをどうこう言ったってしょうがないから、何も言わないけれど。さんが俺のことを好きでいてくれてるっていうのは、十分に伝わってるし。甘えたり、弱音を吐いたり、ああでも、さんからキスしてくれるのが、俺は一番嬉しいかな。ソファで隣に座るさんにちょっかいをかけると、なあにと反応してくれて、会社の人と連絡を取り終えてから、俺の方に向き直ってくれた。そのからだごと抱き寄せて膝の上に乗せると、さんはふふって笑った。ほら、こういうところ。全然動じたりしないんだ。慣れてるんだなあって思ったら、やっぱり嫉妬してしまう。

「真琴くんは、甘えたがりだね」
「…………さんにだけです」

 でも嬉しそうな笑顔は、好き。こういう風に俺を見上げる目とか、凛とした横顔とか。そうなんだ、と言いながらさんは俺にキスをして、じっと目を見て挑戦的に笑う。ああ、また、さんのペースに乗せられた。俺としては願ったり叶ったりだけど、たまに悔しくなる。俺がもっとさんのこと驚かせたり、ドキドキさせたりしたいなあ、って。

「ん……もっと?」

 俺は顔に出やすいから、さんも分かりやすいって思ってるんだろうなあ。どうしたら俺がその気になるとか、ドキドキするかとか分かってる。たまにはさんの方に、もっと、とかって言わせたいなあ……。あ、それ、すごい良い。もう一度ちゅっとくちびるが触れ合って、離れていくのを追いかけて、舌を割り込ませると、さんもすぐに応じてくれる。
 俺が求めてばっかりでいつも不安になる。俺ガキだなあって思っていやになるし、もっとさんにも俺のこと、求めてほしいよ。そう思っているうちに、我慢できなくなってそのままソファに押し倒した。ぐっと身を乗り出して、深いキスを続けているとさんの息がどんどん上がって、んん、とか、は、とか、荒っぽい呼吸が聞こえてくる。いつもならここで止めてあげてた。でも、今日は止めない。そのままちゅっ、ちゅっとリップ音を立てながらくちびるに吸い付いて、ゆるゆるとさんの太腿を撫で上げる。

「っ、真琴くん……、」
「ん、ごめ……苦しい?」

 さんははあ、と肩で大きく息をして、ふるふると首を横に振った。そっか、と俺はまたさんのくちびるを塞ぐ。何度もキスをしながら服の中に手を入れて、下着越しに胸に触れると、さんのからだがびくっと震えた。離れたくちびるから、唾液が糸をつくっている。さんの目が潤んでる。
 あれ……もしかしてさん、少し緊張してる? 俺がいつもより、少し強引だから。照れと羞恥の入り混じった表情が可愛くて、ついくすっと笑ってしまう。たまにはこんな風にしたら、さんのこういう顔が見られるんだ。いつも余裕あるって思っていたけれど、強引にされるとちょっと弱いなんて、可愛いな。もっともっと、照れさせてみたくなる。

「かわいい、さん」

 下着を外して服を押し上げて、露わになったさんの肌にちゅ、と吸い付くと、やっぱりさんのからだが少し震えた。胸の先がもう尖ってる。赤い顔したさんが俺の名前を呼んで、困った顔をしていた。俺の背に首に手を回しながら、もう息が上がっている。

「真琴くん、急に……なんかずるいよ」
「え……なにが?」
「余裕ある感じ」

 どうしたの、とさんは甘ったるく囁く。赤く潤ったくちびるの誘惑に勝てなくて、俺はまたキスを落とす。さんこそ、いつも余裕なくせに。拗ねたふりをしてそういうと、「余裕あるふりだよ」とさんは首を傾げた。だから、そういうところが、余裕あるんだよなあ。たまには俺に虐められてよ。

「されてばっかりじゃ嫌なんです」

 これみよがしに敬語を使って、にこにこ見下ろすと、さんはもっと困った顔して笑った。今日のさん、なんか可愛い。俺の一挙一動に反応して、びくってしたり、高い声を漏らしたり、いつもより余裕なさそうで。俺を呼ぶ声とか、必死な感じがしてそそるよ。そういう顔もっと見せて。今日は、俺が主導権もらっちゃいますよ。


after (140405)







きみはジュリエット/140402~140405
Thanks ; helium


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