1 耳をふさぐ



 部活前にふと呼び止められて、体育館に入る前に裏庭のほうへと寄り道をした。連絡先を教えてほしい、と目の前で爽やかに笑っているのは隣のクラスのサッカー部の男子だ。わたしのアドレスなんかその辺の誰かに聞けば分かりそうなものを、わざわざ直接聞きに来るなんてかえって珍しくって逆に好感が持てる。見た目や噂に違わない爽やかなイケメンだと思った。もしかしてわたしのことが気になっているんだろうか。……だとしたらすこし嬉しいかも。QRコードで連絡先を読みこんで、画面に映った彼の名前を心の中で繰り返して、なんだかくすぐったい気分になる。
 彼と別れてから体育館の入口へ向かうと、黒尾先輩がわたしを待ち構えるように仁王立ちしていた。
「な〜にちゃん。アドレス聞かれてたの?」
「……はい。だけど、別になにもないですよ。」
「へ〜。ふう〜ん。」
 納得してない顔。からかわれる、と思って足早に黒尾先輩の横を通りすぎようとしたけれど、黒尾先輩はわたしを逃してはくれなかった。早く準備をしないと部活が始まっちゃうのに。ほんと意地悪、だなあ。
「なんで逃げるの。やっぱりなんかあるんじゃない?」
「いや、そんなことは……。ただ連絡先を交換しただけです。」
「そう? じゃあ俺の目を見て言ってみて。」
 背の高い黒尾先輩に目の前に立たれてしまうと、その隙を縫って逃げるのはもうむずかしい。わたしは観念してうつむきがちだった顔をあげた。別にやましいことは何にもない。ただ、まあ、ちょっと嬉しいなって思いはしたけれど。
「何にもないです。」
 品定めするように、ジロリと見下ろされる。こわい。思わずくちびるを噛んで後ずさる。誰か助けてくれ、と思ったときに黒尾先輩のうしろから、研磨くんがやってきた。わたしたちが向かいあって、睨みあっているのを見て、「また?」みたいな顔をして去って行こうとする。
 ああ、やっぱり助けてはくれないのか。つい恨めしく思って、目で追いかけたそのときに研磨くんはこちらに振り返った。めんどうくさそうな顔をして、ため息をついている。
「クロ、さっさと言っちゃえば?」
「……研磨。」
さんのこと、す」
 ――大きな手のひらに両耳をふさがれてその続きは何にも聞こえなかった。驚きのあまり、わたしはつい悲鳴を上げてしまう。なにごとかと思った。心臓がバクバクしている。手のひらに覆われているせいで、二人の会話があんまり聞こえなくない。見上げると黒尾先輩は苦い顔をして、なんでもないと言いたげに首を振った。
 うそだ、なんでもないわけないのに。わたしの耳から手を離すなり、逃げてしまった黒尾先輩を、今度はわたしが追いかける番になった。




160116 猫とネズミ




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