ドロップ弾く音がする





 また来ているよと、当たり前のように廊下へと視線を誘導されて、視界の淵にだって捕らえずにはいられないような大きな男の子がじっとこちらを見ているのを、ようやく気がついたふりをして手を振ってやるのが好きだった。
 細長いしなやかな身体は、きれいな銀髪を揺らしながら近づいてきて、わたしの机の前まで来てからいきおいよくしゃがみこむ。


「また来てしまいました。」


 なに、それ、なんか面白い。ひじをついて身を乗り出しながら、顔を見合わせてちょっとだけ笑う。色白の頬が嬉しそうにほころぶのが、美しいなあと見るたびにそう思う。異国の血が流れるその肌は白磁のように透き通っていて、笑うたびに赤らんでゆくのが分かりやすいのだ。


「黒尾くんも夜久くんも、まだ移動教室から帰ってきてないよ。」
「移動教室?」
「うん。2年になったら、地歴公民が選択になるんだよ。」
「チレキコウミン。」


 ちょっとよく分からない、みたいな顔をして繰り返す様子は、外国の子そのものみたいだった。くすくす笑って、世界史とか地理とかが選択になるのだと教えてあげれば、ようやく納得したように頷いていた。
 3年5組にいつも会いに来る、1年3組のリエーフは、とてもかわいい。身長が高くて、ハーフでスポーツ万能で、見た目はクールな雰囲気の男の子だけど、話せば明るさや素直さがむきだしで裏表のない、少年みたいな男の子なのだ。
 部活中に倒れ込んでいる彼に話しかけて以来、わたしは妙に懐かれている。同じ1年生だと思って気を許してくれたのが効いているのか、リエーフがわたしに興味を傾けてくれているというのが、目から声からしぐさから、とてもよく分かる。


はなにを選択してるの?」
「わたしは、日本史と生物だよ。」
「そっか。じゃあ俺もそうしようかな。」
「好きなの?」
「うーん……。でも、に教えてもらいたいから。」


 リエーフはびっくりするほど素直だ。初めて会った日も、まるでずっと知っている友だちにするような距離感で接していた。もともとオープンな性格をしているのだと思う。ポジティブで意志が強くて、今までなにかを怖れたことなど無いみたいに、自信たっぷりに振る舞う特別なひと。
 ころころと変わるリエーフの表情やしぐさを、側で見ているのは面白い。猫のようなアーモンド型のひとみは、キョロキョロと動いて色んなものを見つける。わたしと目線を合わせるために、長い手足をいっしょうけんめい折りたたんで座ったり、かがんだりして、並んでいれば離れている距離を埋めるために、わたしの声を聞き逃さないように、集中して耳を傾けたりする。そういう細かな動作に優しさが見え隠れするのだ。


「来年はわたし、卒業していなくなってるよ。」


 いじわるを言ってもリエーフは、それをいじわるだと思わないで、まっすぐに受け止めて、まっすぐに返してくれる。だからこそ、次になにをしゃべるのかがとても気になったりする。こういう男の子には初めて出会った。
 わたしにとってリエーフは特別なのだ。その透明なフィルターには、なにが映っているのか、どんな風に世界のことを見ているのか、気になって気になって、見つめずにはいられなくなる。


「だからだよ。たくさん接点、作っておかないとでしょ。」
「……まあ、たしかに。」
「だから、こうやって会いに来てるわけだし。」


 当たり前のことを、当たり前だと言うように、リエーフはわたしの目を見てそうつぶやく。その言い分はもっともかもしれない。ただ、ここは教室で、隣の席にはクラスメイトの女の子が座っているのだ。教室にいる他の人たちが、わたしたちの会話を耳にしてじろじろと視線をぶつけているのを、まさか気づいていないわけでもあるまい。
 やっぱり面白いなあ。頑張ってなにかしゃべっているリエーフの話を、うんうんと聞いていると、教室に黒尾くんが戻ってきた。


「また来てんのか、リエーフ。頑張るねえ。」
「黒尾さん。当たり前ですよ!」
ちゃんを落とそうとか10万年早いっての。」


 なあ、と言って黒尾くんは、しゃがんだままのリエーフを見下ろすように並ぶ。リエーフは不満そうだ。黒尾くんはにやにや笑ってる。仲良しなふたりのやりとりを見守ることにする。ちなみに休み時間はあと2分で終わってしまうけど、リエーフは気づいているのかな。


「俺、諦めないっすから。」
「ふうん。ちゃん、どうするの。」
「リエーフ、可愛いんだけどね。」
「けどってなに! 年? 俺が2個も年下だから?」
「ううん、わたしが2個も上だから。」


 悔しそうに表情がゆがんだかと思えば、リエーフはいきなり立ち上がった。視界がぐんと上向いて、黒尾くんよりも高いところにある青い双眼を見つめてみる。きれいな瞳だ。こうして外見だけを見ていると、わたしよりもずっと大人っぽく見える。身長も顔つきも、1年生のそれとは思えない。だからこそ、子どものように素直なままのリエーフがまぶしく見えるのかもしれない。


「俺もと同じクラスが良かった……。」
「はは、バカ。無理だろ。あとさらっと呼び捨てしてんなよ。」
「ううー!!」
「リエーフ、もうすぐチャイム鳴るよ。」


 地の底を這うような悲鳴をあげて、リエーフは唇を噛む。黒尾くんはさっきから、その反応を楽しむようにニヤニヤと笑ってばかりいる。ふたりはやっぱり仲良しのようだ。じりじりと名残惜しそうな青い瞳と見つめ合ったあと、しっぽを巻いて帰る犬みたいに肩を落として、リエーフは教室をあとにした。


「……また来ます。」
「うん。」


 待ってるね、と一言加えるだけで、リエーフはとたんに笑顔になって、明るいオーラを全開にして帰って行く。
 おどろくほどにまっすぐで、どうしたらこんな風に育つんだろうってほどに前向きで、素直で可愛い。宝石みたいなエメラルドの瞳には、世界は一体どんな風に映っているんだろう。きっとまばゆく輝いているであろう世界のはじに、わたしのことを浮かべてくれる彼の優しさが、わたしはきっと好きなのだ。世界がどういう風に見えているのかを、必死に言葉を探して伝えようとしてくれる彼の、きらきらとしたあのまぶしい笑顔が。


「あーあ、まさかリエーフにちゃんを取られるとは。」
「また……。黒尾くんがそう言ってくれるほどじゃないよ、わたし。」
「いやー、もっと自覚したほうがいいよ。ちゃん、リエーフには勿体ないって。あいつバレー下手だし、言うこと聞かないし、ちょーっと可愛いだけだよ?」
「あはは。うん、そうかもね。」


 だけど、きっと面白い世界を見せてくれるから、それでいい。年の差なんか、ジャンプして埋めに来て。わたしもしゃがんで、きみを見つけてあげるよ、そうして同じ世界を、同じように見てみよう。
 きっときみの目には、わたしが知っているよりも世界はずっとずっとまぶしく、輝いて映っているんだろうな。ただそれを、確かめてみたくなったのだ。




(151109) きみの輝きを見ていたい



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